I'm with you
普段なら床を踏み鳴らして出てくるか、手が離せない時は声を張り上げてその旨を伝えられる。不在の可能性も考えたが、数時間前に来ることは伝えてあった。間が空いたが、確かに門田から「わかった」という返事も来た。だから、絶対にこの中に居るはずなんだ。
虫の知らせってのか、嫌な予感がした。いそいそとこの間貰ったばかりの合鍵を取り出して、お邪魔させてもらう。
「…門田?」
扉を開けた瞬間、暢気な挨拶を出来る雰囲気じゃないことは分かった。空気くらい読めないとハニー達に愛想を尽かされるからね。
玄関から居間に向かって一直線に伸びる廊下は、進むにつれ空気が重くなっていくような気がした。
幸いまだ門田は俺に気付いていないようだし、このまま引き返そうかと思う。けど、すぐその考えは打ち消した。こんな時に支えてやれなくて、誰が恋人だよ。追い返されれば素直に帰る。でも顔だけでも見せて安心させてやりたい。
廊下と居間を隔てる扉のノブに手を掛けた。ゆっくりと押し開くと、
「……千景か」と、疑問符の抜けた質問にも、確認にも取れる口調で言われた。
門田は部屋の中で場所を最も取っているベッドの上に、うつ伏せになって寝転がっていた。素っ気ないカバーをかけた枕に顔を埋めている。
……こりゃ、相当落ちてんな。ずっと横になっていたらしく、髪の毛はぐしゃぐしゃになっている。ローテーブルの上には珍らしいことにカップ麺が置いてあって、尚且つ箸まで入れっぱなしだ。料理をするのも面倒くさい、とにかく腹を満たすためだけに食べました、ってところだろう。
「そうだよ、」
邪魔だったら帰るけど、と言いかけて飲み込んだ。それを言ってしまったら、門田は本心ではそう思ってても言えなくなる。代わりに咄嗟に口を突いて出てきたのが、カップ麺に目が行っていて、
「何か作るか?」、だった。くそっ! ミスった。どう考えてもおかしいだろ!
門田はらしくない緩慢な動作で首をこっちに向けて、驚いたように少し目を見開く。そりゃそうだ。いつもいつもご馳走になってるのは俺なんだから。
とにかく帽子を取ってパーカーを脱いで、適当に床に置く。その間に「…いや、いい」と断られる。ってか、食べるって言われても碌なもん作れる自信がないから、正直ちょっと助かったかも。
とりあえず雑誌を取って、ベッドを背もたれに床に座る。
……やばい。会話がなくなった。俺が惹かれるだけあって、門田は芯の強い大人だ。本当ならここまで落ち込んでる理由を聞きたい。でも、悲しいかな人生経験のまだまだ足りない俺には、それとなく聞き出すなんて芸当出来そうもない。
他にすることもなかったし、目に入るカップ麺の容器が気になったから、立ち上がってそれを片付けることにする。流しに持って行って中をざっと洗っていると、「…わりぃな」と後ろから声がした。
「こんくらい気にすんなって」
燃えないゴミのゴミ箱に投げ捨てて、振り返ると門田が起き上がっていた。ベッドに腰掛けて、項垂れている。
当然嬉しくなったけどそれをおくびにも出さずに、横の冷蔵庫から緑茶のペットボトルを出して二つのグラスに注ぐ。コトリと音を立ててテーブルに置くと、また門田は済まさそうな顔をした。
門田の足のすぐ隣に腰を下ろす。ちびりちびりとグラスに口を付けていると、「……あのな、」と門田が口を開いた。
俺の第六感が告げている。ここが正念場だ、って。
小さく、聞こえているか分からないくらいの声で「うん、」と相槌を打った。
「俺、最近忙しかったろ?…同僚がミスってよ…普段から不注意ミスの多い奴だったんだけどな…」
「発注百個をあいつ、千個って書きやがって…。その尻拭いに走り回ってた」
なんでそれで門田が落ち込んでんだ? と思ったけどもちろん口は挟まない。
「…それで昨日、クビになっちまったんだ。一緒に仕事してて、俺が途中で気付けたかもしれない場面もたくさんあった…」
一端区切ると、ぎゅう、っと強く目を瞑った。
「あいつ去年子供生まれたばっかだってのに…」
あー確かにそりゃ落ち込むかも……。門田は一昔前の奴等みたいに、情に厚いところがあるから尚更だろう。
膝立ちになって向かい合った。背中に手を回して力を込める。きっと「門田がそこまで落ち込む必要ない」とか声を掛けても無駄だ。それくらいは俺にだって分かる。結局は自分で納得しなきゃ駄目なんだ。
だから、とにかく励ますことにした。
門田から離れて、パーカーのポケットに突っ込んでいた財布を取り出す。
「あそこのケーキ屋のタルト、門田好きだろ? 甘いもの食べて元気出せよ」
うわ、やべぇちょうはずいかも。
ぽかんとしてる門田を置いて、俺はスニーカーに足を入れる。踵と靴の間に指を突っ込んで整えていると、ドタドタと足音がした。振り返ろうとして――、
え、ちょ、ま。ナニコレ。
肋骨の周りに、がっしりとした腕の感触がする。肩口には鼻梁の出っ張りが当たっている。視界の端っこには門田の前髪が見える。それで、背中一面には人肌みたいな温かさ。シャツ一枚だから殊更感じられた。ひょっとして、っていうか、ひょっとしなくても、これって――。
「要らねぇから。少しの間でいいから。こうさせてくれ」
くぐもった声が聞こえるのと同時に、肩の辺りが吐息でくすぐったい。うわ、ちょ、マテマテ。これ、俺、抱き締められちゃったりしてるわけ。
「うぇ、あ、いや、別に、いくらでも」
何言ってんの俺。ここはかっこつけるトコっしょ。つかンでこんなに顔あっついんだよ。畜生、力強いんだよ。
肩甲骨の窪みに、顔がぐりぐり押し付けられる。くすぐったい、ってか、背筋がビクビクして、動かしたい、のに、動けない。
腕の力は全然緩まないのに、顔だけ離れた。すっごい頑張って首を捻って何とか顔を見る。と、門田は、笑ってた。
「…すっげぇ、顔」
微笑むとかじゃない。にやって、底意地悪そうに片方の口の端を吊り上げてる。
「るせぇっ!」
あぁなんつーか今めちゃめちゃガキっぽかった。
まぁいいや、門田がやっと元気出したみたいだし。……こんな風に思っちゃう俺、門田好きすぎだろ。
作品名:I'm with you 作家名:SUG