エターナル・ビューティ
オーロラが、夜空を鮮やかに染め上げている。
刻々と形を変えるその幻想的な美しさに目が離せず、モニカは宿屋の窓に額を押し付けるようにして見つめ続けていた。
オーロラの道を通って雪の町へ行ったことが、懐かしく思える。あの愛らしい雪だるまたちは元気にしているだろうか。
モニカは膝の上に乗せた永久氷晶を、そっと両手で包み込んだ。そばの暖炉では赤々と火が熾っているのに、白く透き通る結晶の塊はひんやりと冷たく、外の寒さを思い起こさせる。
かちゃり、と背後で扉が開く音がして、モニカは振り向いた。
オーロラをよく見たいために、部屋の明かりは食卓に置いた燭台の揺らめく明かりだけにしており、影のようなその姿は一瞬誰だか分からなかった。
が、すぐに「モニカ姫?」という深く艶やかな声が聞こえ、モニカは慌てて立ち上がった。
「レオニード伯爵――」
レオニードは扉の取っ手に手を掛けたまま、白い顔をモニカに向けた。
「これは失礼。てっきりお部屋におられるとものと思っておりました」
モニカは永久氷晶を両手に持ったまま、小さく肩をすくめた。
「個室よりも食堂の窓の方が大きく、オーロラが見やすいことを思い出しまして、下りてきましたの」
蝋燭の明かりの向こうでレオニードはかすかに微笑み、言った。
「さようでしたか。では、ごゆっくり楽しんでください」
そう言って滑るように部屋を出て行こうとするのを、モニカは止めた。
「お待ちください、伯爵。何か御用でいらしたのでは?」
「いえ……大したことではありませんから。では、お休みなさい」
モニカは氷晶を強く握り締めながら、言った。
「もしかして、私に気を使っておられるのでは? 良かったらご一緒にオーロラを見ませんか? とてもきれいですのよ」
レオニードは軽く目を見開き、わずかに思案するようであったが、やがて静かに笑みを浮かべた。
「では、少しの間だけ」
そう言って開いた扉はそのままに、優雅な動作でやや離れた椅子にそっと腰を下ろし、モニカも椅子に掛けるようにそっと手で指し示した。
その動きはまるで、小動物をおびえさせぬような、さりげないやさしさを感じさせるものであり、モニカは小さく微笑んだ。
「何か?」
小さく首を傾げたレオニードに、モニカは言った。
「……私、誤解していたかもしれませんわ」
レオニードは口元に笑みを浮かべたまま、モニカの次の言葉を待つ。
「初めてお会いしたとき、私、とても失礼でしたわね」
やさしく微笑みながら、レオニードはモニカを見つめ続けている。
「怖がる必要など、何もありませんでしたのに」
ポドールイのヴァンパイア伯爵。伯爵に噛まれると不老不死の体を得ることができるが、城から出ることは出来ず、永遠に城の中を彷徨うだけとなる。若さと美しい姿を永遠に保ち続けたまま――。
誰よりも大切な兄の命令とはいえ、恐ろしさに身がすくむのを抑えることは出来なかった。
しかし、共に旅をするようになってから、恐ろしいヴァンパイア伯爵が実は、とても細やかな神経を持っていることにモニカは気づいた。常に皆に気を配り、それと気づかぬくらいにさりげなく、支えてくれていることに。
それに気づいたときはとても意外な気がした。人を超越した存在なら、もっと傲慢で、気まぐれであると思ってた。
だがそれと同時に、兄が彼を信頼する道理が分かったような気もした。
兄は礼儀正しく有能で、控えめな人物が好きだ。責任感があり、強く、そしてふとしたときに見せる脆さも持つ……。
そこまで考えて、別の人物が脳裏に浮かんだことにモニカは苦笑した。
「どうされましたかな?」
思わず微笑んだモニカを見ながら穏やかに、レオニードは問う。
「いえ、申し訳ありません」
モニカはきらきらした瞳をレオニードに向けた。
「私、伯爵に色々お聞きしたかったんです」
ゆったりと微笑みながらレオニードは言った。
「私が答えられることであれば、なんなりと」
モニカは笑みを浮かべた。
「初めてお会いしたときにおっしゃっておられた、ヒルダ妃のこと。そして、お兄様とのこと。お兄様は伯爵をとても信頼しております。お兄様との間に何があったのかお聞きしたくて」
素直で率直なモニカの問いに、伯爵は軽く微笑んだ。
「ヒルダ妃はともかく、ミカエル侯とのことについては、私よりも直接兄上にお聞きなされた方がよいかもしれません。ですよね? ミカエル侯」
扉を振り返ってレオニードは呼びかけるように言った。
ややあって、ミカエル、それにユリアンが開いたままの扉から顔を覗かせる。
「まぁお兄様、立ち聞きなんてはしたない」
驚いたモニカがとがめると、
「私が下りてきたらユリアンがここに立っていたものでな、何かと思って――」
「ずるいですよミカエル様、途中からは一緒に聞いていたじゃありませんか」
と、ミカエルとユリアンは弁解するように言った。
眉をしかめるモニカに、レオニードはなだめるような笑みを浮かべ言った。
「では皆さんがおそろいになった所で、ヒルダ妃のことから。――私が初めて彼女に会ったのは、今夜のようにオーロラが美しく輝く夜でした」
彼女、という言葉に懐かしさと親しみが込められていることにモニカは気づいた。
同時に、埋めようもないほどの寂しさと哀しみも。
六百年という長い年月、レオニードはどれほどの人と出会い、そして別れを経験したのだろう。
モニカはふと、レオニードを連れ出してはいけなかったのではないかと思った。
いくら親しくなろうとも、いつかは皆、彼をこの世に置き去りにしたままいなくなってしまう。
親しくなればなるほど、生気を失った花嫁たちに囲まれただけの長い孤独の日々に戻ることがつらくなってしまうのではないか、と。
レオニードの視線を感じ、モニカははっと我に返った。そして、美しいレオニードの瞳が語りかけてくるのを感じた。
(あなたが気に掛けることではありませんよ。私は嬉しいのです。再びあなた方のような人たちに出会えたことが。その嬉しさは、寂しさや悲しみを上回ります)
モニカは胸が詰まって、視線を落とした。そして、両手の中に永久氷晶を握ったままであったことを思い出した。
永久氷晶はモニカの手の中にあっても、澄んだ輝きを失わずにひんやりと冷たいままであった。
何も変わらぬままにすべてを受け入れる、永遠の美しさであった。
モニカは静かに目を閉じ、それからゆっくりと顔をあげてレオニードに微笑んだ。
きっと、瑞々しい花のような笑顔をしているだろうと、モニカは思った。
――終――
作品名:エターナル・ビューティ 作家名:しなち