冬の鳥籠
石造りの、殺風景な部屋の中央。
柱にくくりつけられた椅子の上、後ろ手に手錠をかけられて、女はぐったりと項垂れている。
床の上、ずいぶん前に彼女が飲み込まず吐き出したパンの欠片を、ゆっくりと蟻が運んでいた。
重い鉄扉が軋みをあげて開き、黒く光る軍靴が蟻のたかったパンを無造作に踏む。
「2週間か…いくら死なない身体でもさすがに辛いだろエリザベータ。いい加減御主人様もお怒りだ」
揶揄に満ちたざらつく低音が投げかけられ、ふりあおぐ女の怒りに満ちた眼差し。それを受けてギルベルトはことさら軽薄なうすら笑いを浮かべてみせる。
「俺が来たんだ。――意味は、解るな?」
黒い手袋をとり、骨張った指が細い顎を掴む。
「強情は、ここまでだ、エリザ」
言葉の響きだけは優しげに、血色の瞳に宿る底冷えする光がエリザベータを射る。
必要が生じれば、完璧な拷問も禁忌の薬物の投与も顔色ひとつ変えずやってのけるこの男の前では、どんな抵抗も無駄だと、彼女は既によく知っている。
翠の瞳でまっすぐに男を睨みすえ、ふーっと威嚇する獣じみた息をひとつ吐いて、エリザベータはゆっくりと唇を開いた。
「良い子だ」
椅子を引き寄せ彼女の傍らに腰かけると、ギルベルトはトレイの載ったワゴンに手を伸ばした。
まだ微かに湯気をたてる皿の上を、鉄製の匙がヒラリと動く。
後ろ手に手錠をかけられたままの女の、その少年めいた顔立ちに似合わずぽってりと肉感的な唇に、白い粥が流れ込んでゆく。
2週間、食事を拒否し続けた身体は正直で、ギルベルトを睨んだまま、エリザベータの唇は彼の動かす匙に余裕なく吸い付く。
「慌てなくていい」
たしなめた途端、彼女の口の端からこぼれた粥があごをつたって落ちた。
開いた襟の奥、はち切れそうに盛り上る白い胸乳にぼたりと垂れたそれをとっさに指で拭い、彼女の唇へ運ぶ。見下ろす長い睫毛が震え、指に吐息がかかる。桃色の舌が生き物のように指にからみついた。
微かな水音。熱く柔らかい粘膜の感触。尾てい骨がぞっと燃え上がるような錯覚にギルベルトは密かに唾を呑みこむ。
「水も、飲むか?」
口元に水筒を押しあて、空いた手をうなじに伸ばして小さな後頭部を支えた。細い喉がこくりと動くのを見つめ、濡れた唇に吸い付きたくなる衝動を、気づかれないように圧し殺した。
傷ついた小鳥に餌をやるような倒錯じみた晩餐を終え、空になった皿をワゴンに戻しながら、ギルベルトはことさら軽い声で告げる。
「終わったらここから出してやれる。まあ、せいぜい…2日程度だ」
項垂れていたエリザベータが顔をあげ目を見開いた。ふたつの翠にみるみる涙が盛り上がり、汚れた床の上にボタボタと染みを作った。
重い音をたてて閉まる鉄の扉を背に、ギルベルトは深く長いため息をついた。
2日。今回の暴動が鎮圧されるまでの時間。そうして彼女の身体の一部が、また抉り取られる。
熱い舌の感触が残る指に、唇を押しあて、ギルベルトは目を閉じる。
あの柔らかな唇を、かつて何度も優しく啄んだ。
同じシーツにくるまって素肌の脚を絡め合い、朝の光を浴びてくすぐったく笑い交わした。
遠い昔の話だ。あまりにも、遠い。
「…下衆野郎が」
低く呻いて、唇から離した指を拳にして石壁に叩きつける。
愛した女をむざと痛めつけ、家畜のように扱って、なおも欲情している。
どうしようもなく吐き気を覚えた。
長い夜は、まだ明けない。
end.