なかま
授業中、気づけばグラウンドを眺めていることがある。部活の中でもめ事が起これば、一日中それしか考えられない。無意識に、バックから取り出したボールを握っていることもある。
野球のことを忘れた日はない。その存在はすでに、日常と言い換えられる。
しかし、野球一色に染まっている訳でもなかった。親、先生、友達。絵具みたいに色んな色が自分を染めるから。必ずしもはっきりとした色ではない。何色もの色が少しずつにじんで、混ざって、自分という色を作っている。だから、部活のために行っているような学校でも、授業にテストとそれなり真面目にこなしているのだ。
野球部のほかの部員もそうだ。生まれたときから同じ環境で、同じ親に育てられて、同じ先生に教わって。
そんなことは有り得ない。みんなそれぞれの色を持っている。
持つべきポジションだって違う。考えていることだって、夢だって、違う。
だから・・・・と、沢口は考える。
同じところに立ちたいわけではない。妬みでも羨みでもない。
ただ、聞いてみたいことがあった。どうしても、たずねてみたかった。いつだって自信家で、努力と実力をともなった天才ピッチャーに。
野球以外の日常を深く知りたいとは思わない。巧の色の中には、確かに野球の色がある。それで十分だ。
・・・・でも。
ぐっと唇をかみしめる。
そこに仲間という存在はあるのだろうか。
マウンドに立ち、キャッチャーに向かって投げること。巧の中にはそれしかないような気がして、少し不安だった。
問いかけた。頭上にいわし雲が浮かぶ、夕暮れのグラウンドだった。まだ後片付けの一年生が大勢残っている。
ひどく野暮な質問だったと自分でも思う。夕日に照らされた巧が、いつもより長身に見えた。
「なぁ原田、ほんまにおれたちと野球しとって、楽しいか」
巧は不思議そうな顔をした。ななめ上から真っ直ぐな視線がすっと降りてきて、静かにぶつかった。そうだよな。と、沢口は妙に納得できた。巧が、他人に深く干渉されることを好くはずがない。
「どうしたんだ、いきなり」
思った通りの言葉だった。なのに、返事につまる。喉には言いたいことがつかえている。でも、なぜかそれを言葉にすることができなかった。おかしな焦燥にかられた。
「いや、ただ・・・・」
言葉を探す。この気持ちはどう言えばいいだろう。ふいに、分からなくなった。笑って、何でもないと言うこともできる。
でもそれじゃだめだ。きちんと伝えたい。喉につかえて見えない言葉が、ふくらんだように苦しい。
巧がわずかに目を細めた。怪訝そうな顔には見えなかった。沢口はそれに少し安堵して、口を開く。
「・・・・おれ・・・・」
巧は目をそらさない。何も、言わない。
形の良い切れ長の目で、射抜かれるような感覚を覚えた。考えていることをすべて見透かされているようだ。
やっぱり、原田じゃな。
真っ直ぐに相手を見つめて、絶対に目をそらさない。
冷静に感嘆する、もう一人の自分がいた。そして、その瞳に吸い込まれるように、開いたままの口から言葉が紡がれる。そう、探せなかった言葉が、驚くほど簡単に口をついて出た。
「おれたち、仲間じゃと、思うてええんよな」
稀有な才能を持った巧と、平凡な自分。
仲間という言葉を感じさせない巧に、不安を抱いた。
うなずいてほしかった。自分でもどうかしていると思う。一緒に野球をしている人物に向かって、仲間だと思っていたいだなんて。
「よくわかんないけど・・・・」
巧の声は思ったよりずっとやわらかかった。静かな声。突き放したような口調ではない。
当然の返事だと思う。自分でも、よくわからないことを聞いたと分かっている。あやまろうと口を開きかけたとき、巧が言った。
「でも、一緒に野球やるのは、面白いよ」
沢口は、唇をきゅっと結んだ。何かに心を思い切り掴まれたような感覚。少し苦しい。胸を張って、巧を見上げる。でもそれは、嬉しい苦しさだった。むしろ、とても心地よい。
「はは・・・・そっか」
喉の奥を何かにくすぐられるように、自然と笑みがこぼれた。
「おれも、原田たちと野球するの、ほんまに面白い」
噛みしめるようにそう言った。
ほんまのほんまに、みんなで野球するのが大好きじゃ。
足元の土を踏みしめる。木々を揺らして過ぎていく風の音が、耳をくすぐった。
「へんな奴だな」
そう言った巧も、わずかに笑ったように見えた。とがった口調の裏に、小さく笑んだ声音が混ざる。
巧は踵を返し、豪たちの方へと歩いていく。
沢口は、巧の中にも仲間という色があるのだと思った。するとまた嬉しくなって、秋の空に小さく口笛を吹いた。