流れ星
展望室。机に向かっていたキールは論文から顔を上げ、背もたれに寄り掛かって息を吐いた。
目だけを動かして今しがた書いていた論文を見直す。
オルタ・ビレッジ。
まだ試行錯誤の段階だが、アンジュの元に届いている報告では悪くない。
資源の問題、思想の問題。これらの問題も長い目で見ていけば解決出来そうだ。
だが、まだ理想には程遠い。
学会の石頭達を納得させるには確かな実績が必要だ。
理想論だけではない、事実に基づいたデータを提示しなければ。
ちらりと時計を見る。最近キールは論文中でも時計を見る習慣がついた。
論文に夢中になり朝になっていた、なんてことはキールにとって日常茶飯事なのだが、そうするとクレアやロックス辺りに心配されてしまうからだ。
時計の針は2本とも頂点を指している。
12時。まだ大丈夫そうだ。
そう思い再び万年筆を握ったその時、後ろから物音がした。
「お前こんなとこにいたんだな」
音の主はリッドだった。
手になにやら箱を持ち、ズカズカと近づいて来る。
「何のようだ?用がないならさっさと出ていってくれ、今忙しいんだ」
「忙しいって、どーせまた論文だろ?」
「どうせって何だ!何しに来たんだよ!」
思わず声を荒げる。
相変わらずカンに障ることしか言えないやつだ、とキールは心の中で吐き捨てた。
「俺はなぁ、クレアに頼まれたんだよ。熱心なキール君がまた夜更かししてるかもしれないから引きずって来いってな」
「うっ・・・い、今終わろうと思ってたところなんだ」
「じゃ、早く片付けろよ」
それは、とキールは言葉に詰まった。
終わろうとしていたどころか、今まさに続きを書き始めようとしていたところで、文章が次から次へと頭の中に流れ込んでくる。
キールの性格上、ここで止めることは無理な話だった。
そんなキールを見ていたリッドは耐え切れないとでも言うように笑い出した。
知らず、キールの眉間に皺が寄る。
「冗談だよ、冗談」
「冗談?」
「ホントはこれを持っていくように頼まれたんだよ」
「この箱は?」
「開けてみろよ」
側面から開くタイプのこれには見覚えがある。
ひょっとして、と思いつつ中身を取り出した。
「これ・・・」
「ふわふわケーキ。お前好きだったろ」
「何で・・・」
思わずそう漏らしたキールにリッドが口を開く。
世界に危機が訪れる中でラザリスのこと、オルタ・ビレッジのこととキールはすごく頑張っている。みんなにしてあげられることはこれくらいしかないから。
「そう、クレアが言ったのか」
「あぁ」
「・・・・・・」
「・・・まぁ、実際頑張ってるんじゃねーの。俺は難しいことはよくわかんねーけどさ。だから、今はこれ食おうぜ!」
「何でそうなるのか理解しがたいが、確かに人間はあまり長時間集中出来る生き物じゃない。ここらで休憩して糖分を摂取するのは良いかもしれないな」
「小難しいことはどうでもいいんだよ!ほら!」
ズイッとケーキの乗った皿を突き出される。
ほのかに香る甘い匂いに誘われて手を伸ばした。しかし、その手はピタと止まる。
「どうした?」
「リッド。フォークはどこにあるんだ・・・?」
「あ」
しまった、というリッドの顔。
キールは思わずため息をついた。
「フォークなしでどうやって食べるんだよ・・・」
「・・・んなもん、手づかみで良いだろ!」
「手づかみって、お前なぁ!」
「別に俺一人しかいねーんだから、お行儀とか気にしても仕方ないだろ」
ほら、と再び皿を差し出す。
これはリッドの落ち度だと思うのだが、リッドがフォークを持ってくるという選択肢は無いらしい。
それとも俺が食べさせてやろうか。
目を輝かせてしてきたその提案は即座に却下した。
かといって目の前の誘惑に抗う術があるのだろうか。否。
キールは覚悟を決めるとケーキに手を伸ばした。
「・・・おいしい」
「だろ!」
「別にお前が作ったわけじゃないだろ」
「細かいことはいいんだよ。・・・じゃ俺もいただきますっと」
「お前、まさか自分が食べるためにこの役を引き受けたのか・・・?」
「まぁそれもあるけど・・・って、今何時だ!?」
慌てて辺りを見回すリッド。
時計をさがしているのかと思いきや、その視線は窓の外へと注がれている。
「0時15分だな」
「やべぇ、もう始まってる!」
そう叫ぶとキールの腕を掴み窓際へと駆け出すリッド。
「おい!いったい何なんだ。何かあるのか?」
「えっと、確か方角は…」
ごそごそとポケットに突っ込まれている紙を取り出す。
そんなリッドの頭越しに、キールは見た。
「流れ星・・・流星群か?」
「お、こっち側か!」
「だが、こんな数の流星群は見たことがないぞ!?」
引っ切りなしに流れる光。
瞬きを忘れてしまいそうなほど美しい光景だった。
「なんかものすごーくすごい確率で見れるもんなんだと」
「・・・リッド、わけがわからないぞ」
「『とある実験によると・・・まぁほとんど私のカンなんだけど。0時過ぎにこの流星群が見られるハズよ』だとさ」
「ハロルドか・・・相変わらず滅茶苦茶だな」
最終判断が己の勘なんて。
しかしその『カン』が当たるからまた恐ろしい。
「どーだ、驚いたか?」
「しかし、一体どうしてこんなことが・・・一つ仮説を立てるとすると」
「おいキール!」
「何だ、今考えて」
バシッ
振り向いた瞬間、リッドのデコピンが見事に命中した。
思わず額に手を重ねる。
「何するんだよ!」
「せっかく綺麗なモン見てるんだぞ、こういう時くらい難しいこと考えるのやめようぜ」
ケーキもあるんだし、とさっき置き去りにしてしまったそれを持ってきた。
「ただ綺麗、でいいだろ?」
ニッと笑ったリッドの顔が星明かりに照らされる。
キールはもう一度窓の外を見ると小さく呟いた。
「…綺麗、だ」