色のない世界
眼前に広がる、溢れそうな程に鮮やかな色で咲き誇る花々。
海からの穏やかな風が吹き抜け、柔らかな陽の光が辺り一面に降り注いでいる。
切り立った崖の先端には、この花畑を見守るかのように聳える大樹。
「……変わらないな、此処は、……。」
六年前の、あの頃から。
酷く懐かしい想いに駆られ、この光景を見上げたリチャードは、ゆっくり大樹へと歩み寄る。
さく、と花畑へと足を踏み入れた瞬間、一際強く吹いた風に煽られ、色取り取りの鮮やかな花弁が舞い上がった。
その光景は、まるで夢のように美しい景色だった。
『…ほら、綺麗だろう?リチャードにもこの景色を見せたかったんだ!』
記憶の中の少年が、六年前と同じ台詞と笑顔で微笑んだ。
あのときは月明かりに照らされた花畑が酷く幻想的で、こんな夜に共も連れずに出歩いたことなど無かったリチャードにとって、何もかもが新鮮だった。
月夜の花畑も、子供だけでの遠出も、モンスターを相手にした戦闘も。
ふ、と知らず口元に笑みを刻み、誓いを交わした大樹の前まで歩を進める。
やや身を屈め、六年前の友と自分が表皮に刻んだ名前をそっと指で辿る。
「……あれから六年も経つのに、…こんなにはっきりと残っているものなんだな…」
『友情の誓い、知らないのか?こうやって、名前を刻むんだ。』
子供が、石で刻んだ辿々しい文字。
それでも一文字一文字、力強く刻まれたそれは、その誓いと共に今もこうして此処にある。
『…よし!…これで俺達は一生、友達だ!』
初めての友人は、その友情が永遠のものだと言って、笑ってくれた。
それが自分にとってどれだけ嬉しかったか、あの頃の彼にはきっと解らないだろう。
何の見返りも求めず、ただ自分の為だけに躊躇いなく、その命を懸けて戦ってくれた少年。
それを当然の行為だと言い切った彼には、リチャードの受けた衝撃こそきっと、理解出来ないものであっただろうから。
(…僕にとって、ラントでの出来事は…かけがえのない、大切な記憶だ。それを君に伝えたら、…どんな顔をするだろうか…。)
まるで、それまで色のなかった世界が、一瞬で鮮やかに塗り替えられたかのような衝撃。
ただ広いだけの城の中で独り、窓から眺めていた景色とはまるで違う。
世界が、こんなにも鮮やかで美しいものだと初めて知ったんだ。
『またラントに遊びに来いよ、リチャード!』
それを教えてくれた君に、この地で別れを告げてから、六年。
程なく訪れた、たった一度だけの再会。
予想外に早く訪れたそれに、あの悲劇が待っていた。
それまでの自分と、彼の生き方を変えてしまった…あの運命の夜が。
その場で片膝を着き、リチャードは腰のダガーで大樹の根元を掘り返していく。
ラント邸の客室を借りて、友へとしたためた手紙をこの誓いの場所へ埋める為に。
(…君が不在であることを承知で、…此処を訊ねる僕を臆病だと笑うかい?…)
六年も同じ王都で暮らしていながら、手紙の一通すら直接送るこもと出来ず、こんな回りくどい方法を用いる自分を。
もしいつか、君にそう尋ねることが出来たなら、どんな答えを返してくれるだろうか。
きっと、自分が知るままの彼なら、笑ってこう答えるのだろう。
『そんな訳ないだろ!リチャードは俺の友達だからな!』
六年前の姿のままの少年が、笑って手を差し伸べる。
忙しなく定められた時間の合間、幾度騎士学校へ君を訪ねようと思ったかしれない。
事実、すぐ傍まで足を向けたことは何度もあった。
けれど、どうしても彼の所在を訊ねることは出来なかった。
(……アスベル。…僕達の誓いは、いつまで…、……どこまで、赦される……?)
小さな窪みに手紙を埋め、手袋に包まれた掌で周りの土を丁寧に被せていく。
いつか、彼に届くことを願って。
「…僕はただ、…会いたいんだ、君に。…そして、…あの頃のように笑って欲しい……、…」
そうすれば、今の自分を取り囲む色のない世界が、あのときのように鮮やかに彩られるだろうから。
どうかもう一度、君にそんな光景を見せて欲しい。
こんな手段を用いてまで伝えたい想いは、言葉にしてしまえば酷くシンプルなものだった。
たったそれだけを、何年も伝えられないまま。
ただ強く、不在の友を想った。