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【 いつかきっと・・・ 】 第1部 海の章 1「再会」~仁

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俺が「江戸」へ飛ばされてから、二年の月日がすぎ去った。
もとの世界へ戻る手立ては、今のところ、まったくない。
いつかきっと戻れるはずと、俺は信じているけれど。
江戸での暮らしが心地よいのも、今の俺には真実で。
俺は「江戸の医者」として、もう溶けこみつつあったのだ。
「仁友堂」で患者を診つつ、日々はつつがなくすぎてゆく。
この平穏な静けさが、この先、ずっと続けばいい・・・・・・

 *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  

「ホールドアップじゃ!」 

その静けさを破ったのは、男の低い声だった。
声とともに突きつけられた、銃の感触が背に当たる。
命を狙われるような、身に覚えはまったくないが、ひやりと汗がにじみ出た。

「・・・・・・せんせぃ」

「!?」

特徴的なアクセントのある、土佐訛りの、この声は・・・・・・

「龍馬さん!?」

予想もしない再会に、俺の心は浮き立った。
ふりかえると立っていたのは、旅装の龍馬さんだった。
少し、はだけた胸もとが、健康そうに焼けている。
埃がかった袴の裾から、黒いブーツをのぞかせて。
左頬の三つのホクロと、右頬に浮かぶ片エクボ。
ちょっぴり伸びた無精ひげが、案外似あっていたりする。

「久しいのぅ! せんせぇ!」

黒曜石のような瞳(め)が、真正面から俺を見る。
頭の笠を取りさると、龍馬さんは笑みを湛(たた)え、俺にむしゃぶりついてきた。

「ちょっと・・・・・・龍馬さん! こんな、公衆の面前で・・・・・・!」

仁友堂の前の通りは、人の流れが多いのだ。
男ふたりが抱きあう姿を、誰もが横目で見咎める。
俺はあわてて押しのけて、龍馬さんをねめつけた。気にする素振りも見せぬまま、龍馬さんは訴える。

「お手上げなんじゃぁ! せんせぃ・・・・・・」

 *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  

龍馬さんが助けてほしいと訴えている人物は、龍馬さんが「師」と仰ぐ、勝先生の縁者だ。
その人物は京都で斬られ、今も瀕死の状態で、ただ死を待っているばかりという。

「・・・・・・少し、時間をくれませんか・・・・・・?」

龍馬さんの悲痛な叫びに応えたいのは、やまやまで。
けれど、俺の心の中には常に不安が巣くっている。
歴史に名を成す人物を、この手で救っていいのかと。
死すべき人を生かしたら、歴史は必ず変化する。
狂った歴史は巡り巡って、いつかきっと俺や誰かの運命さえも変えるだろう。
もしもこの手で変えたなら、俺は明日へと続く道を信じて歩けるのだろうか?
歴史の闇に呑まれそうで、俺はいつでも怖いのだ。
それでも俺はたったひとりで、歩んでいかなければならない・・・・・・

 *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  * 

その夜、寝床に入ってからも、俺は思い悩んでいた。
寺社の鐘が厳(おごそ)かに、丑三つ刻を告げる頃。
静まり返った夜更けの廊下で、床の軋む音がした。

「せんせぃ。まぁだ寝ちゃぁおらんがかぇ?」

忍び足の黒い影が、障子の向こうで立ち止まる。
仁友堂の入院室に泊まったはずの龍馬さんが、手燭を手にして立っていた。

「龍馬さんも、もしかして・・・・・・まだ、眠れないんですか?」

障子を開けた龍馬さんが、そっと部屋に忍んできた。手燭を置いてふりかえり、闇の中で、ほくそえむ。

「夜這いじゃ」

「えっ?」

「わしゃぁ、ちっくとせんせぃを、襲いに来ちょっただけぜよ」

言うが早いか龍馬さんは、俺の身体を組み敷いた。
俺がどんなに抗おうと、龍馬さんの腕の力は、ほんの少しも緩まない。

「ちょっ、ちょっと、龍馬さんっ・・・・・・! 腕を離してくださいよっ」

「せんせぃは、迷うちょるがかぇ?」

「・・・・・・・・・・・・」

歴史を枉(ま)げてしまうことに、誰もが迷わぬわけがない。
運命さえもあやつることに、躊躇しないわけがない。
このまま俺は何もせずに、歴史に逆らわなければいい。
沈黙したまま目をそむければ、きっと傷つくこともない。
歴史の巨大な渦を怖れ、俺はあきらめかけていた。

「その人は重傷なんでしょう? わたしが今から駆けつけたって、助からないかもしれないし・・・・・・」

龍馬さんは俺のことを、不甲斐なく思ったに違いない。
俺の肩を押さえる両手に、次第に力が込められる。
龍馬さんの唇が、闇の中でもはっきりと、震えているのが見てとれた。

「まっこと助けられるとしたら、せんせぃしかおらんがじゃ!」

龍馬さんの言葉の力が、心の中に沁(し)みてゆく。

「だぁ~いじょうぶじゃ、せんせぃ。なんもかんも、旨(うも)ぅいく。せんせぃやったら、できるがじゃ!」

どうして、こんなにこの男(ひと)は、俺を翻弄するのだろう。
どうして、こんなに力強く、俺を勇気づけるのだろう。

「ほれ、一緒に行くぜよ」

ひとりで抗い続けても、歴史に呑みこまれるだけだ。ならば、俺は手を携えて、歴史の渦を乗り越えよう。
俺の望みは多くの人を、この手で救ってゆくことだ。
江戸で生きる医者として、より良き「未来」を作ること。
江戸の夜は暗すぎて、たまらなく心細いけれど。
龍馬さんと一緒なら、それは必ず叶うはず。
歴史に抗うその術(すべ)は、龍馬さんが知っている。
俺はこの男(ひと)と手をつなぎ、ともに、どこまでも歩めばいい・・・・・
龍馬さんに後押しされて、俺はようやく決意した。

「行きますよ、龍馬さん。わたしも一緒に、京都へ・・・・・・」

龍馬さんは嬉しそうに、ただ一度だけ、うなずいた。
こうして俺はこの男(ひと)の、言葉に鼓舞され、奮起する。
太陽のように輝く笑みに、次第に惹かれ、魅せられる。
いつかきっと龍馬さんは、俺の大切な男(ひと)になる・・・・・・

「ほいたら、せんせぃ。続きぜよ」

「続き?」

「夜這いの続きに決まっちゅう・・・・・・」

吐息まじりの低い声が、俺の耳もとをくすぐった。
龍馬さんの唇が、俺の耳朶(じだ)を弄(もてあそ)ぶ。
軽く甘噛みされたあとに、熱い舌先で、くすぐられ・・・・・・
翻弄される心地よさに、俺は、ほだされそうになる。

「だっ、だめですよ、龍馬さん! 京都へ行く支度をしないと、間に合わなくなりますよ!」

龍馬さんを押しのけて、俺はかろうじてまぬがれた。
俺を籠絡するはずの、蜜のような誘いから・・・・・・
名残惜しい気持ちを捨てて、俺は薬を作るため、準備しようと跳ね起きた。
研究室へ向かおうとすると、俺の背後で龍馬さんの拗(す)ねたようなひとり言が、小さく聞こえたのだった。

「まっと続けたいけんど・・・・・・今宵は、これで終(しま)いぜよ・・・・・・」

★ いつかきっと・・・ 第1部 海の章 2「海の彼方」~仁 へ つづく ★
この お話は、「本編」+「番外編」からなる、長編小説の第1話と なっております。ただ今、