身近な人に似ている
さくらの花びらが散り、若葉が芽吹き始めた時期。
手嶋野は少しずつ慣れてきた日常通り、朝の予鈴が鳴る開始5分前に教室に着いた。出会って一ヶ月も経っていないクラスメイトと簡単な挨拶を交わすと自分の席に座る。
予鈴が鳴るまでの短い時間は、いつもなら雑談でもしているが、今朝はその相手が居なかった。
廊下側、前寄りの真ん中の机。その座席の主が学校へ来ている形跡はない。
寝坊か何かだろうか。
疑問に思いながらケータイを取り出し、交換したばかりの連絡先を開く。
瀬々稜。
中学間際にようやく買ってもらえたケータイメモリの43番目。赤外線で交換したデータにはメールアドレスと電話番号しか入っておらず、手動で名前を入力したのも記憶に新しい。そのおかげか、一番早くフルネームを覚えてしまった相手でもある。
妹や弟のように表情がコロコロ変わる同級生を思い浮かべながら、電話を掛けるかメールを送るかを悩む。けれど、同級生相手にそこまで世話を焼く必要もないかと思い直し、マナーモードになっていることを確認してからケータイをカバンにしまう。
実際の妹や弟とは違うのだ。
朝のホームルームが終わる。欠席者は一名。担任の先生も、まだ入学して一月も経っていないのに、と呆れていた。
さすがに、授業に遅刻するのはまずいだろ。
手嶋野は、カバンに押し込んだケータイを取り出すと、十分ほど前に開いていた連絡先を開いて通話ボタンを押す。
長い六回目のコールでその相手は出た。
『ふぁ~い』
気の抜けそうな声に思わず手嶋野は顔をしかめる。
『どちらさま?』
明らかに寝起きで、声がいつもよりも掠れている気がした。
「クラスメイトの手嶋野だけど」
『………………あぁ』
寝起きで思考回路が追いついていないのか、顔と名前が一致していなかったのか、手嶋野にはわからなかったが、鈍い反応にため息をついた。
「なんでもいいけど、朝のホームルーム終わってもうすぐ授業始まるんだけど、いつ来んの?」
『えっ、嘘!?』
心底驚いたような声が、受話口から聞こえてくる。どうやら、時計は確認していなかったようだ。
ため息をついて、早く来るように促すと、電話を切る。
結局、その日は一時間目の授業の終了五分前に、瀬々稜は教室に滑り込んできた。
翌日も、手嶋野が登校してきた時間に瀬々は居なかった。今日は早めに連絡しようと思い立って、ホームルームの前に電話を入れる。
いくつかコールが鳴ってから、留守録に繋がった。
あいつはまだ寝てるのか?
疑問を浮かべながら、手嶋野は予鈴が鳴るまで何度か電話を掛け直した。
いつもと変わらず開かれる朝のホームルームでは簡単な連絡があり、それだけを告げると担任は教室を出て行く。
教室にまだ瀬々は現れない。手嶋野は仕方ないと言わんばかりに深く息を吐いて、もう一度だけ、とケータイを手に取った。
コールの三回目、途中で音が途切れると、気の抜けてきそうな声が聞こえた。
『もしもしー?』
「お前、今ドコにいんの? 学校は?」
『あー、もうすぐ着く』
「は?」
ブツンという音の後に、ツー、ツー、という電子音が受話口から聞こえてくる。
なに勝手に切ってんだよ。
手嶋野は通話の切れたケータイの画面を呆然と眺めた。
そのとき、先ほどまで電子機器を通して聞こえてきた声が、より鮮明になって上から降ってくる。
「おはよー」
ふと顔を上げると、にへらと笑う男子生徒が一人。
「手嶋野の着信、めちゃくちゃあってビックリしたんだけど」
「ビックリって……お前が出ないからだろ」
うへぇ、と言いたげでうんざりとした表情を見せる瀬々。
今、驚いているのはこっちだ、と言いたいところをこらえる。
「二日連続遅刻とかねーわ」
「……あー、すみません?」
自分の行動を省みたのか、瀬々は気まずそうな表情を浮かべて頬をかいた。
別に関係ないしいいけど。なんてため息交じりで漏らし、瀬々から視線を外す。
「謝る必要はねーよ。早く荷物置いて来い」
「は~い」
素直に頷き、自分の席に行く瀬々を見て、手嶋野はどこかでこんな光景見たなとぼんやり考えた。
「なんてゆーか、手嶋野って面倒見良いよな」
「は?」
ついさっきまで、昨日のテレビ番組の話をしていたはずが、どうしてこうなったのか手嶋野は疑問を浮かべた。
昼休み。お弁当を広げる手嶋野の目の前で、瀬々はコンビニで買ってきた総菜パンをかじっている。
「ほら、朝の電話だとか、お昼ご飯心配してくれるところ……とか?」
「なんで疑問形なんだよ」
ため息をひとつ漏らす。きょとんとした瀬々の顔を見ながら、手嶋野は口を開いた。
「なんか、お前見てると妹や弟を思い出すんだよ」
感情豊かな表情や、少し危なっかしい弟妹を思い出す。
「へー、手嶋野ってお兄ちゃんなんだ。妹と弟っていくつ?」
「小学生と保育園児」
卵焼きを一切れ掴み、口へ運ぶ。正面に座る瀬々は嫌そうに眉をひそめた。
「俺って、小学生以下? ひどー」
「じゃあ、遅刻せずに学校来いよ」
嘆息すると、うーんと悩んで、頑張りますと小さな声で聞こえた。
「でも、人から電話が来るのは嬉しいから、掛けてくれるのは嬉しいかも」
瀬々の独特の笑顔は本当に嬉しそうで、手嶋野もつられて口元がゆるむ。
「しゃーねぇ……。また電話掛けてやるよ」
「え、マジで? 手嶋野ありがと~」
愛してる、と続けられて、気持ちわりぃと返す。
高校に入って出来た友人との距離感が、思いの外馴染んでいた事に、手嶋野はほんの少しだけ嬉しくなった。
その五日後、朝のホームルームが始まりそうな時間に手嶋野は空席を見つめながら電話を掛けた。朝の挨拶の言葉を交わし、この時間なら授業には間に合うだろうと安心したのも束の間。
その日、瀬々は昼休みにようやく姿を現して、二度寝してしまったと悪びれなく笑うものだから、手嶋野は自分の無力さを感じ、もう二度と瀬々に電話を掛けないと心に誓った。
手嶋野は少しずつ慣れてきた日常通り、朝の予鈴が鳴る開始5分前に教室に着いた。出会って一ヶ月も経っていないクラスメイトと簡単な挨拶を交わすと自分の席に座る。
予鈴が鳴るまでの短い時間は、いつもなら雑談でもしているが、今朝はその相手が居なかった。
廊下側、前寄りの真ん中の机。その座席の主が学校へ来ている形跡はない。
寝坊か何かだろうか。
疑問に思いながらケータイを取り出し、交換したばかりの連絡先を開く。
瀬々稜。
中学間際にようやく買ってもらえたケータイメモリの43番目。赤外線で交換したデータにはメールアドレスと電話番号しか入っておらず、手動で名前を入力したのも記憶に新しい。そのおかげか、一番早くフルネームを覚えてしまった相手でもある。
妹や弟のように表情がコロコロ変わる同級生を思い浮かべながら、電話を掛けるかメールを送るかを悩む。けれど、同級生相手にそこまで世話を焼く必要もないかと思い直し、マナーモードになっていることを確認してからケータイをカバンにしまう。
実際の妹や弟とは違うのだ。
朝のホームルームが終わる。欠席者は一名。担任の先生も、まだ入学して一月も経っていないのに、と呆れていた。
さすがに、授業に遅刻するのはまずいだろ。
手嶋野は、カバンに押し込んだケータイを取り出すと、十分ほど前に開いていた連絡先を開いて通話ボタンを押す。
長い六回目のコールでその相手は出た。
『ふぁ~い』
気の抜けそうな声に思わず手嶋野は顔をしかめる。
『どちらさま?』
明らかに寝起きで、声がいつもよりも掠れている気がした。
「クラスメイトの手嶋野だけど」
『………………あぁ』
寝起きで思考回路が追いついていないのか、顔と名前が一致していなかったのか、手嶋野にはわからなかったが、鈍い反応にため息をついた。
「なんでもいいけど、朝のホームルーム終わってもうすぐ授業始まるんだけど、いつ来んの?」
『えっ、嘘!?』
心底驚いたような声が、受話口から聞こえてくる。どうやら、時計は確認していなかったようだ。
ため息をついて、早く来るように促すと、電話を切る。
結局、その日は一時間目の授業の終了五分前に、瀬々稜は教室に滑り込んできた。
翌日も、手嶋野が登校してきた時間に瀬々は居なかった。今日は早めに連絡しようと思い立って、ホームルームの前に電話を入れる。
いくつかコールが鳴ってから、留守録に繋がった。
あいつはまだ寝てるのか?
疑問を浮かべながら、手嶋野は予鈴が鳴るまで何度か電話を掛け直した。
いつもと変わらず開かれる朝のホームルームでは簡単な連絡があり、それだけを告げると担任は教室を出て行く。
教室にまだ瀬々は現れない。手嶋野は仕方ないと言わんばかりに深く息を吐いて、もう一度だけ、とケータイを手に取った。
コールの三回目、途中で音が途切れると、気の抜けてきそうな声が聞こえた。
『もしもしー?』
「お前、今ドコにいんの? 学校は?」
『あー、もうすぐ着く』
「は?」
ブツンという音の後に、ツー、ツー、という電子音が受話口から聞こえてくる。
なに勝手に切ってんだよ。
手嶋野は通話の切れたケータイの画面を呆然と眺めた。
そのとき、先ほどまで電子機器を通して聞こえてきた声が、より鮮明になって上から降ってくる。
「おはよー」
ふと顔を上げると、にへらと笑う男子生徒が一人。
「手嶋野の着信、めちゃくちゃあってビックリしたんだけど」
「ビックリって……お前が出ないからだろ」
うへぇ、と言いたげでうんざりとした表情を見せる瀬々。
今、驚いているのはこっちだ、と言いたいところをこらえる。
「二日連続遅刻とかねーわ」
「……あー、すみません?」
自分の行動を省みたのか、瀬々は気まずそうな表情を浮かべて頬をかいた。
別に関係ないしいいけど。なんてため息交じりで漏らし、瀬々から視線を外す。
「謝る必要はねーよ。早く荷物置いて来い」
「は~い」
素直に頷き、自分の席に行く瀬々を見て、手嶋野はどこかでこんな光景見たなとぼんやり考えた。
「なんてゆーか、手嶋野って面倒見良いよな」
「は?」
ついさっきまで、昨日のテレビ番組の話をしていたはずが、どうしてこうなったのか手嶋野は疑問を浮かべた。
昼休み。お弁当を広げる手嶋野の目の前で、瀬々はコンビニで買ってきた総菜パンをかじっている。
「ほら、朝の電話だとか、お昼ご飯心配してくれるところ……とか?」
「なんで疑問形なんだよ」
ため息をひとつ漏らす。きょとんとした瀬々の顔を見ながら、手嶋野は口を開いた。
「なんか、お前見てると妹や弟を思い出すんだよ」
感情豊かな表情や、少し危なっかしい弟妹を思い出す。
「へー、手嶋野ってお兄ちゃんなんだ。妹と弟っていくつ?」
「小学生と保育園児」
卵焼きを一切れ掴み、口へ運ぶ。正面に座る瀬々は嫌そうに眉をひそめた。
「俺って、小学生以下? ひどー」
「じゃあ、遅刻せずに学校来いよ」
嘆息すると、うーんと悩んで、頑張りますと小さな声で聞こえた。
「でも、人から電話が来るのは嬉しいから、掛けてくれるのは嬉しいかも」
瀬々の独特の笑顔は本当に嬉しそうで、手嶋野もつられて口元がゆるむ。
「しゃーねぇ……。また電話掛けてやるよ」
「え、マジで? 手嶋野ありがと~」
愛してる、と続けられて、気持ちわりぃと返す。
高校に入って出来た友人との距離感が、思いの外馴染んでいた事に、手嶋野はほんの少しだけ嬉しくなった。
その五日後、朝のホームルームが始まりそうな時間に手嶋野は空席を見つめながら電話を掛けた。朝の挨拶の言葉を交わし、この時間なら授業には間に合うだろうと安心したのも束の間。
その日、瀬々は昼休みにようやく姿を現して、二度寝してしまったと悪びれなく笑うものだから、手嶋野は自分の無力さを感じ、もう二度と瀬々に電話を掛けないと心に誓った。