ふぐは思う。
ふぐは思う。
「ええ、何その名前。おいしそう」
学童らが第一声に放ったのはそれだった。
川の底では、ゆるい流れの中で小さな黒いカニがちろちろと動いている。
「でも、その、スベスベマンジュウガニって、食べられないんでしょう?」
「へえ、どうしてそう思うんだい?」
「だって、キリク先生は毒の先生ですから。だから、今日も毒の生物を教えてくれる授業だと考えれば、本でなくとも簡単に分かります」
生真面目なシロンは胸を張ってそう答えた。
「エリン、知ってるかい? 今の時期は下の湖にふぐがやってくるんだよ」
相手の女性の緑の瞳が、興味深そうに揺れた。
「ふぐというと、あの毒を体内に持つ魚のことですか?」
「そう。とってもおいしいらしいよ。肝の毒を抜くのは、限られた職人しかいないって話だけれどね」
「さすが、キリク先生。詳しいですね」
「専門ですから」
得意げに、肩をすくめて見せた。それはほんとうに見せたと言える意識した動作だったのだけれど、エリンは微笑した。
「ふぐの毒はとても強いものだと聞いてます。どうして、そんな毒を持つようになったのでしょうか。やはり、他の魚に食べられないため?」
「それもあるのでしょうが……ふぐというのは、自分で毒を作っているわけではないのですよ」
「え?」
きょとんとした。一般的にそう言われているし、事実専門書でもそう明記されている。だが研究されてきたことで、今までの事実ががらりと変わってしまうことなど、よくあることだ。
エリンの表情が、真剣なものへと変わった。こうしてどんなことでも、生き物のことを学び取ろうとする姿は、とても愛しい。愛しいとしかいえない感情が、わきあがっていた。
「水の中では、ふぐが食べるたくさんの餌があります。貝や、小魚など。それらに、少しずつ毒が入っているんですよ」
「では、ふぐは毒を食べてくれる、いい魚なのですか?」
「いいや。そんな立派な理由じゃない。ただ単に、生きるために、他の魚が食べれない毒を食べれるように進化した……そう推測されているよ」
言い終わって、でもそれはそれで一つの理由かもしれませんね、と付け加えた。
そう。別に立派な理由は無い。そんなきれいごとなんて口にできない。
毒はただ、毒なのだ。
自らが生きるために、餌を食らうために、敵を殺すために、毒を使う。
少しずつ、少しずつ溜め込んで。誰かが自分を食らっても毒で命を奪い取ってしまうように。
けれど、どうしてもあの緑色の瞳の女性に、その毒の肝を差し出す姿が想像できないのだった。