二次創作小説やBL小説が読める!投稿できる!二次小説投稿コミュニティ!

オリジナル小説 https://novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
二次創作小説投稿サイト「2.novelist.jp」

うすりさんへ

INDEX|1ページ/1ページ|

 

「おかえり」
 踵ひとつ鳴らしたその後で、声はふと降ってきた。
 リビングへ繋がる扉を開き、首元を覆うマフラーを外そうと掛けた手を一瞬止める。
 俯けた顔を上げれば、薄暗いロンドンの夜によって鏡へと姿へ変えた窓に、見知ったというには馴染みすぎた顔が写っていた。
「…ただいま」
 なんとかひとこと、それだけを喉から出して、静止していた動作を再生する。マフラーを取り去り、幾ばくかの霧雨を浴びたコートを脱ぎ、それらを一纏めにして椅子へと放る。「シャーロック」棘のある声が背後からしたけれど、聞こえないふりをして、パソコンを立ち上げた。基盤が回転を始めた音が低く、ぶうん、と部屋に響く。
「何処へ出掛けてたんだ」
「レストレード警部に呼ばれてな」
「…クリスマスだってのに、警部も大変だな」
 間抜けな音を立てて起動した機器からブラウザを立ち上げ、メールをチェックする。先程、レストレードから送ると言われていた添付資料を開き、一度目を通してそのまま破棄する。
「犯罪者には、クリスマスも休暇も無しさ」
「…ご苦労なことだね」
 用済みになったパソコンの電源を落とす。部屋には、ざあ、と濡れたコンクリートを跳ねるタイヤの音ばかりが満ちた。
「さて、」
 ひとつ息をついて、背筋を伸ばし踵を返した。あたたかな橙色の焔が揺れる暖炉の前で、同居人はぼんやりと僕を見上げる。
「なぜ、君がここにいるんだい、と僕に質問させたいのかな」
「シャーロック…」
 この難解で人嫌いな僕を友人だと言う奇妙な同居人は、僕の質問に溜息をつくと「やぁ、二日ぶりだね」と淡く笑った。



(クリスマスは家族で過ごすもんだろう。)
 去り際、レストレードは口惜しそうに呟いて、署を出る僕を見送った。
 確かにこの国では、クリスマス前後の休暇は家族とその時間を過ごす者が多い。レストレードは昨年子供が生まれたばかりだと言っていたから、余計に家への渇望は強いのだろう。しかし、家族もましてや暖かで幸福に満ちた時間など望まない犯罪者達は、今日も変わらずこの街を蠢いている。そしてその犯罪を追いかける己の人生も、それと対して変わらないように思われた。
(あぁ、でもマイクロフトからメールが来ていたか)
 数日前、家への帰省の有無を尋ねる連絡があったことを思い出した。もう数年以上帰っていないというのに律儀なことだ。
 火花を散らして炭化していく薪の上に、新しいそれを放り込んで、僕はふかくソファーへと沈み込む。ロンドンの冬はひどく寒い。たった数十分外気に晒されていただけだが、指先は感触を無くし、そのありかを確かめるためにゆっくりと関節を動かす。
「紅茶でいいか」
 台所から投げられる声に、あぁ、と無造作にこたえを返す。ポットを取り出すジョンの後ろ姿をちらりと眺めて、随分似合わないものだ、と独り言ちる。ハドソン夫人は、親戚の元へとしばらく行くと言って、一昨日から姿がない。帰宅すればすぐやってくる陽気な声がないことには、幾ばくかの違和感があった。
「どうぞ」
「あぁ、ありがとう」
 渡されたカップを受け取り、うっすらと湯気の立ち上るそれを一口含む。
 適切に近い温度に、適切に近い濃さに、適切に限りなく近い砂糖の量。
 まぁ、悪くはない。
 手元にあったカップをソーサーごと足元へおろし、僕は喋り出した。
「君は、昨日この部屋を出た」
「…なんだ、いきなり」
「日が高く昇ってから、それも小さな旅行鞄を一つだけもって出発したため、長居はする気がなかった。そもそも、今回の休暇中は仕事もないし、のんびりキャシーの家で過ごそうと思っていた」
「…シャーロック」
「しかし、暫く顔を出していないだろう、いい加減帰って来いと催促された君は、渋々家へ帰った。クリスマス・イブ。久しぶりの一家団欒。だが生憎、家族水入らずの時間はあっさりと崩壊してしまう。おおかた原因は君の姉だろう。」
「…」
「腹を立てた君は一晩経つと、次の日にはもうロンドンへ帰ってきた。街はイルミネーションで輝いて人々は幸せそうだ。その空気にあてられた君は、キャシーへ連絡を入れ、二人で一日を過ごし…そうだなKnightsbridge辺りでショッピングをしてきた。違うかな」
「…ご名答」
「それは良かった」
 もうひとくち、とカップをくちに運べば、向かいから「君は…」と恨めしそうな声がする。
「数日会わなくても、何も変わらないようで僕は嬉しい」
 ジョンは、くすくすと笑みを零すと、彼専用のマグカップを傾けた。


(そういえば、ジョンはどうした)
 既に用はない、居心地の悪い署から足早に去ろうとした僕にレストレードは言った。
(…帰省しているが)
(そりゃ残念)
(どういうことだ)
(クリスマスに共に過ごす人が居ないのは寂しいだろう)
(…ジョンは家族じゃないが)
(そうだが、)


「シャーロック」
「なんだ」
「レストレード警部のところに行っていたってことは事件か」
「…」
「なんだ、違うのか」
 きょとん、と首を傾げたジョンを僕はじっと見つめる。
 不思議な男だ、と思う。遠慮がなく口が五月蝿く、生活のあちらこちら始終で僕に文句を垂れるくせに、必ず事件にはついてくる。命がけで僕を助けようともするし、僕に助けも求める。
(君にとっては、初めての友達だろう)
 レストレードが、可笑しそうにそう言ったのを思い出す。友達、友達か。僕はその言葉を何度も口の中で転がしてみる。けれどその不可解な形をしたものは、一向にこの体には馴染みそうも無かった。ぷかぷか、と浮いたあわい概念を僕は思う。理解できないものは好ましくない。けれど、まぁ悪くない、悪いものではない。
「君は、僕に負けず劣らず、馬鹿だと思うね」
「…は?」
「まぁ、いい事件の概要を説明しよう」
「ちょ、待て、シャーロック」
「なんだ、君が聞いてきたんだろう」
「いや、そうなんだが、聞き捨てならない台詞が聞こえた気がするんだが」
 不機嫌そうに発せられるその声は無視して、僕は暖炉からもれる柔らかなひかりを見つめ、ちいさく笑った。

 

メリークリスマス!
作品名:うすりさんへ 作家名:鶯の谷