恋人以上
「ええ、これであかねさんもブライアンさんを見送れますね」
ふぅー……と長く息を吐きながら私、緑川なおはあかねが乗ったバスをじっと見つめた。
バスはしばらく直進した後、交差点で左折して、夕焼けに染まる街中へと消えていった。
後に残ったのは私とれいかだけ。
「それでは、私たちは帰りましょうか」
私は、今度は大きく息を吸って、はぁー……と長い溜め息を吐いた。
「……なお、どうかしたの?」
「なんていうか……あかねはすごいな、って思ってさ」
初めはブライアンと顔を合わせようともしなかったのに。どうせもう二度と会うことはないと言っていたのに。
それでも、あかねは別れの悲しさを乗り越えて、一直線に走り始めた。
「私よりよっぽど直球勝負してるな、なんて」
思わず乾いた笑いが出てしまった。
私なんて告白の練習ですら好きだなんて言えなかったのに。
れいかはそんな私を真っ直ぐ見ていた。
「……ごめん、今の忘れて」
なんとなく気まずくなって、私はれいかから目線をそらした。
まったく、なに弱気になってるんだか。あかねはあかね、私は私じゃないか。気にすることないんだってーの。
「さあ、帰ろっか」
「……では、今から私がブライアンさんで、なおがあかねさんね」
「え?」
私がれいかの方に振り向いたら、れいかはすでに私に背中を向けて走り出していた。
「ちょ、れいか、待ってよ!」
急にどうしたんだよ? 言ってることもやってることも意味わかんないよ!
訳がわからないままにれいかを追いかける。
あーもう、バスを止めるためにさっきも全力でダッシュしたから疲れてるのに!
「……うりゃあ!」
気合いを入れてさらに加速。遠くに見えていたれいかの背中がグングンと近くなり、ついに追いついた。
「はー、はー、れいか、急にどうしたの?」
右手でれいかの肩を捕まえながら問いかける。
「はあ、なお……はあ、はあ」
「ああ、ごめん。息が整ってからでいいよ」
れいかから手を放し、もう一度深呼吸。息が整った私は辺りを見回した。
「ここは……」
小さい頃、れいかとよく一緒に遊んだ公園だった。私たちの家を挟んでちょうど真ん中あたりにあるからいつもここで待ち合わせをしていた。
そう、いつも待ち合わせ場所はこの公園で一番大きな木の下だった……そこに今、れいかが背中を預けて、荒い呼吸を繰り返している。
「ふぅー……はぁー……」
しばらくするとれいかの息も整ってきた。
「れいか、もう大丈夫?」
「ええ、もう平気です」
「なら教えてよ。どうしていきなり走り出したの? ブライアンとあかねがどうとか言って……」
私の問いかけにれいかが視線を返してきた。
優しい色をしたれいかの瞳――何故かドキリと胸がうずいた。
「なお、覚えてる? 小さい頃、よくここで一緒に遊んだわよね」
「うん、もちろんだよ」
「なおはよく転ぶ子でしたね」
「そうだったかなあ?」
「ええ、そうよ。でも何度転んでも、なおはすぐに立ち上がってまた公園を駆け回った」
クスクスとれいかが微笑む。
「ご近所の男の子が私をいじめていたときにもすぐに駆けつけて、男の子相手でもひるまずに立ち向かって、私を助けてくれた」
「あったねえ、そんなことも」
懐かしいなあ。中学に入ってからはお互い部活とかで忙しくてこの公園で一緒に遊ぶことなんて無くなっちゃったけどね。
「ってそれとどう関係が?」
いったい何を言いたいのかわからないまま、れいかは話を続ける。
「……そして、私がなおに告白したのも、なおが好きだと言ったのも、ここ」
「そ、そう、だったね、って、き、急に何を!」
改めて言われると恥ずかしくなるじゃないか!
「ねえ、なお。私がもしブライアンさんみたいにどこか遠くへ行ってしまうとしたら、なおは見送りに来てくれますか?」
「そんなの、当たり前だよ!」
離ればなれになるなんて絶対に嫌だけど、でもどうしてもそうなってしまうなら、せめて見送りくらいはしたい。
「ええ、そうですよね。だってなおはもう追いかけてきてくれましたものね」
「えっ……あっ!」
そうか、自分がブライアンで私があかねって言ってたのは、つまりあかねみたいに追いかけてこいってことだったわけね。
でもなんでそんなことを――と思った瞬間、れいかの手が私の頬に触れた。
少しひんやりとしていて、でも確かにれいかの体温を感じる。
「あかねさんはブライアンさんに追いついたでしょうか?」
「そりゃ、もちろん……」
「ブライアンさんとどんなことを話すのかしらね?」
「……告白、とか?」
「じゃあなおは?」
「え?」
「なおは私に追いつきました……なおならどうするの?」
れいかが私を強く見つめている。その瞳はかすかに潤んでいて、静かに何かを待っていた。
どうするのって、そんなこと言われても……こんなときどうすればいいのかなんて知らないよ!
でも――私はれいかの首筋に手を回し、顔を近づけ――こういうときこそ、直球勝負だ!
そして、目を閉じた。
「んっ……」
唇が重なった瞬間に吐息が漏れた。それはどちらのものだったのか。
壊れやすいものにそっと触れるようなキスを終えて、れいかが微笑む。
「素晴らしい直球勝負ね、なお」
「は、はは……」
そんなこと言われると……。
「恥ずかしいー!」
うわあ、顔が熱い! 顔が真っ赤になってるのが自分でもわかるよー!
「恥ずかしがらなくてもいいですよ。なおの気持ち、確かに伝わりましたから」
「そ、そう? なら良かったけど……」
ああっ、でもやっぱりちょっと恥ずかしいー!
「……ふふっ」
「な、なに笑ってんだよ!」
「いえ、なおは今も昔も可愛いなって思っただけです」
「んもー! 人のことからかって!」
怒る私の懐かられいかがするりと抜ける。
「うふふ、別にからかってるわけじゃありません。本当のことを言ってるだけですよ」
「余計に悪いっての……」
まったく、れいかったら……でもおかげでちょっと自信を取り戻せたかな。
「暗くなってきてしまいましたね……そろそろ帰りましょうか」
「そうだね。送ってくよ」
「ありがとうございます」
れいかの手をぎゅっと握る。れいかも笑顔で握り返してくる。
夕暮れの中で、れいかがそばにいてくれる。
……うん。この温もりがあるなら、私はこれからも直球勝負だ!