a wish
深夜、カイトの滞在している部屋を訪ねてきたがくぽは、腰を下ろすなり切り出した。
「頼み…?」
床に置かれたランプが唯一の光源で、部屋の中は暗かった。ランプのオレンジの灯りに、ここの住人たちが全身に身に付ける独自の意匠の金属製の飾りが煌めき、中性的な容姿の青年を昼間と違う雰囲気に彩っている。きれいだなとぼんやり頭の隅でカイトは思ったが、どちらに対してそう思ったのかは分からなかった。
「君の頼みなら断らないよ。俺に出来る事なら、何でも言って!」
正直夜中に来て一体どんな頼み事なのか想像もつかなかったが、カイトは相手が遠慮などしないようにと、軽い口調で先を促した。
旅の途中、この場所に逗留するきっかけとなった怪我は既に癒え、自分は近いうちにこの集落を出て行く。
助けてもらった恩もある。出て行く前に、親しくなったこの青年の為に、自分が何かをしてあげられるのなら、嬉しいことだと思ったのだ。まるで昔からの友人のように気が合った彼との別れを前に、近頃ずっと塞いでいた気持だって、少しは晴れてくれるかもしれなかった。
がくぽは、しばらく何事か考えるようにしていたが、唐突に身体が触れ合う距離にまで這い寄った。
ほとんど押し倒される格好になり、カイトはバランスを崩して後ろに手を付く。カイトの膝に、がくぽの細い手が置かれた。
「私と子を作って欲しい」
「……は。え?えっ!?」
予想もしていなかった言葉と、触れる体温に、混乱し固まるカイトに、がくぽはさらに身体を近付けた。
「聞こえなかったか?私と子を作れ」
「こ、子供!?いきなり何を言って」
掟なのだと冷静な声でがくぽは言った。
「私達は定期的に外からの血を入れるのだ。老人達もお前なら適任だと」
「何で…」
「この共同体を維持するのに必要だからだ。外と交流を持たない私達は近親婚が多い。かつてその所為で深刻な問題が起き、出来た掟だと聞いている」
思考が追いついてこないが、がくぽは冗談を言っているようには見えなかった。人をからかうような性格でないのも、短い付き合いの中でカイトは知っている。
「で、でも君は」
「ー…ああ」
がくぽはカイトの視線を辿って、自分の身体を見下ろした。
「私はお前達における男性体に当たるが、問題はない」
「問題ないって…」
はっと我に返り、カイトは慌ててぶんぶんと首を横に振る。
「あ、いや、違う、そういう事じゃあなくって!」
「心配しなくとも、子が出来てもお前の負担になるようなことは何もない」
「そうじゃない!君は平気なの!?こんなこと」
ここの人間は特異な文化や考えを持っているとは感じていたが、これはあんまり無茶だ。思わず声が大きくなったカイトを、がくぽが不思議そうに見つめた。
「昔からずっと、私達はそうしてきたし、その役目が、たまたま私に当たっただけだ。確かに私も初めてのことで少し不安もあるが、やり方はちゃんと教わっているし、大丈夫だ」
「でも、決まりだからってそんな、好きでもない奴と…」
それを聞くと、がくぽは屈託のない綺麗な笑顔で笑った。
「私はお前のことは嫌いではない。お前は優しいし、外の色々な話も聞かせてくれた。私は幸いだ。以前は喋った事もない相手と子を成さねばならない者もいた」
話しながら、カイトの胸に触れようとする。
「ま、待って!」
カイトはがくぽの手を掴んで止めた。
がくぽがわずかに悲しそうな表情を浮かべる。
「私達のように曖昧な身体は、外の人間には嫌悪を感じる者もいると聞いている…お前もやはり抵抗があるのか」
「抵抗とか、そんなんじゃ…」
「ではお前は私自身が嫌いか」
「それは…」
咄嗟にカイトは答えられなかった。
嫌いかと問われれば、カイトは勿論嫌ってなどいない。出会って日も浅い彼に、好意と呼べる感情を持っている。おそらくは友情の類とは違う好意を。
だからとてもこんな頼みには応えられないと、すぐさま席をけってこの場を立てず、ここまで動揺しているのだ。
今は、はっきりと分かっていた。旅立つ事を辛いと感じていた理由。
それを知るのと同時に、予想してしまう未来の事態。カイトは俯いて唇を噛んだ。
「もしも、ここで俺が断ったら……どうなるの」
「お前がどうしても協力してくれないと言うなら、もちろん強制は出来ない。また外から旅人が訪れるのを待つか、それが無理なら、誰かが街まで行って相手を探してくる」
淡々と語られる声に、痛みがカイトの胸を刺す。
成り立ちの異なる社会の風習を、外部の価値観で非難など出来ないのかもしれない。けれど。
「っ、そんな…」
カイトが掴んでいた手を離す。
すると離された瞬間、制止する間もなく、がくぽが身体ごと預けるようにカイトの首へと抱きついた。
がくぽの動きに身に付けた装身具が、しゃらしゃらと音を立てた。がくぽの長い髪の独特な香料の甘い香りが、カイトの鼻をかすめる。
「がく…」
「カイト」
幼い子供のするようにしがみ付き、聞き逃しそうな、小さな声が聞こえた。
「私は…、出来れば、お前が良い」