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戦前夜

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最後に晋助様の唄を聞いたのはいつだったろうか。
もう随分前のことに思えるのは、この船に乗ってからというもの、晋助様がめっきり唄わなくなったからだと思う。
京にいた頃、(と言っても、私が晋助様と京にいたのはほんの短い期間だけれど)晋助様はよく花街に行かれた。
護衛にはいつも似蔵か万斉がついていたけれど、ごくたまに私を連れて行かれることもあった。
賑やかな祇園の町で、傍に女と酒を侍らせながら、晋助様は三味線に合わせてあの低い声で唄っていらしたものだ。
その純和風の唄いまわしと言葉は、天人の文化のはびこる昨今には滅多に聞かれなくなったもので、天人のいない時代を知らない私にはかえって耳慣れない調べだった。
それに護衛の身である以上、芸者達と共に手を打つことも侭ならない。
だから晋助様の唄がどういうものなのか知らなかったし、何処が趣きなのかもいまいち解らなかった。
それでも、漆塗りの盃を手に低く吟じる晋助様を見ているのは好きだった。
いつも暗く光っている晋助様の右目も、あの時ばかりは細く弧を描いて見えたから。
だから、晋助様が唄うときは楽しいときなのだと、単純にそう思っていた。




船は滑るように夜空を、時には海を走る。
不思議なもので、船の中にいるとその違いは大して感じられない。
私には波を越える音と風を切る音はいつだって同じように聞こえる。
だが一度甲板に出れば、その様相の違いを目の当たりにする。
何よりも空は酷く冷える。高度があるからだと先輩は言っていた。
いよいよ江戸が見えてきたと知って居ても立ってもいられず、寒いと解っていたが外に出た。
飛び出した甲板は、月の光に照らされてまるで凍っているようだった。
甲板には風を遮るようなものはないから、体感温度は余計に低い。
あいにく私は裾の長い着物など持っていない。
身体を抱きしめるようにしながら扉を閉め、舳先の方へと歩を向けた。
青白く光る夜空は綺麗だったが、下を見ようと船のへりまで歩いていくとその色が少しだけ変わる。
へりから乗り出すようにしてその光源を辿ると、遠く地平線の辺りに緑色に光る物体が見える。
その光が、まるで月を押し戻そうとするかのような勢いで空を染めているのだ。
天人の巣食う大都市、江戸の象徴、ターミナル。
こうやって実際に見るのは初めてだ。
航空灯の赤と相まって妖しい雰囲気を醸し出すターミナルは、周りを高層ビルに囲まれて、まるで光る要塞のようにも見える。
あの街で、あの巨大な建造物のもとで、晋助様と共に銃を奮うのだ。
ついに江戸に来たのだと、自然と胸が高まっていく。


段々と大きくなっていくターミナルを眺めているうち、身体が冷え切ってしまった。
せめて腹だけは冷やさないようにと手を当てていると、カツカツと金属的な足音が聞こえた。
すっと隣に寄った人影の高さと、風の音に紛れた電子音ですぐに誰だか知れる。
「いよいよでござるな。」
その体格には似合わない、少し高めの声が私に語りかけた。
よりによって一番厭な奴が来た。
無視を決め込もうとしたが、万斉も万斉で畳み掛けるように話しかけてくる。
「ぬしは、あれを見るのは初めてか。」
あれ、と彼が指差したのがターミナルだったものだから、自然とそちらを見た形になってしまう。
折角一人で感慨に耽っていたと言うのに。
喋りたくなかったが、雰囲気が雰囲気だけに渋々口を開けた。
「・・・ああ。」
「江戸はあんなものばかりでござる。腰を抜かして晋助の邪魔にならぬようにな。」
「ッ!!」
・・・やはり喋るんじゃなかった。
わざわざそんなことを言いに来たのだろうか。
寒さに震え出した唇を噛み締めながら睨み付けると、万斉は飄々とした顔でターミナルを眺めている。
私には目もくれていない。
自分は江戸に仕事を持っているから私とは違うとでも言いたいのだろうか。
本当に厭味な男だ。
むかついたから鼻を明かしてやろうと思った。
「晋助様は、」
ヘッドフォン越しにも聞こえるようにと少し大きめの声で話しかける。
案の定、晋助様の名前を口にしたところで万斉はやっと私の方を見た。
こういうところもいちいち癇に障る。
「お前の三味線じゃ唄わないッスね。」
これは少し前から思っていたことだ。
常に三味線を背負っている男を傍に置きながら、晋助様は万斉にそれを弾かせたことがない。
花街では酒を飲むたびに三味線を所望して唄っていたのに、だ。
「お前の音、嫌いなんじゃないッスか。」
目一杯の厭味を込めて言ってやった。
最初から気に入らない男だった。
大体晋助様を呼び捨てにしているところから私を苛々させる。
しばしの沈黙の後、万斉はゆっくりと口を開いた。
「そう言われてみれば、晋助に弾けと言われたことはござらぬな。」
サングラスに遮られた向こうの瞳が私を強く見据えている。
おおかた、小娘と思っていた私に痛い処を突かれて驚いているのだろう。
晋助様の側近のような顔をしているこの男にはいい薬に違いない。
いい気味だ。胸の透いた思いで眼を逸らしてやる。
だが私の予想に反して、万斉はなおも言葉を継いできた。
「だが、江戸では拙者の三味線が必要になろうよ。」
「はッ!そんなことある訳が、」
「晋助が唄うのは、人を殺したあとにござるからな。」
思いもよらなかった言葉に思わず振り返ってしまった私に、あろうことか万斉はニヤリと笑った。


「・・・そう、なのか。」
「知らなかったでござるか。」
それは驚いた、とさも事も無げに万斉はのたまった。
「江戸では吉原に行く余裕もあるまいて。」
ぼそりとこぼした万斉の顔色は、月影が遮られたせいでもう解らない。
だが、その飄々とした物言いに酷く苛ついた。
この男はいい。
もうすぐこの空の何処かしらへ旅立って、全てが終わった頃に帰って来るのだから。
もし万斉の言ったことが真実ならば、彼は帰って来た暁には、晋助様に請われるがままに三味線を奏でるに違いない。
そして晋助様は唄う。
私が優しいと思ったあの表情で、自分が殺した人間に向かって唄うのだ。
けれど私は。
そこまで考えた瞬間、体中の血の気が引く思いがした。
思わず握った両手には汗がにじんでいて、慌てて着物の裾で擦り取った。
もうすぐ人がたくさん死ぬ。
その内の何割かは私のこの両手が撃ち抜く。
そしてその数だけ、私の命も危険に晒される。
今までに数え切れぬほどやってきたこと。
解りきっていることなのに、こびりついた思考に身体が強張っていた。



次に晋助様が唄うとき、私は果たして生きた耳でそれが聴けるだろうか。



「お前の三味線には、きっと役不足ッス。」
邪念を掻き消すように吐き出した言葉が震えたのは、きっと寒さのせいだ。
そうに決まっている。
身体だって芯まで冷え切っている。
だのに胸のうちが焼けるように熱く感じられた。
この男の戯言になど惑わされない。
惑わされて堪るか。
それでも、足元が崩れていくような感覚を抑えることはできなかった。
「どうした?ぬし、声だけでなく身体も震えておるが。」
「・・・寒いだけッス。」
万斉の声が笑っているように聴こえたのだって、気のせいに決まっている。
作品名:戦前夜 作家名:やつしろ