生
少し前まで、ぼくには仲良しの女の子がいた。物心ついた頃から、ぼくは彼女と一緒に遊んでいた。いつも一緒に遊んでいた草むらには、ぼくたちのことを馬鹿にする、変な顔をした嫌な奴や、嫌な男の子もいたけれど、僕たちは一緒にいるととても楽しかったから、そんなの全然気にならなかった。
けれども、そんな楽しい日々は、ある日突然なくなってしまった。僕たちの草むらに無遠慮に入り込んできたやつが、彼女を連れ去ってしまったんだ。彼女がそいつに捕まるとき、ぼくは必死に助けようとしたけれど、そいつの体はとても大きくて、ぼくでは全く歯が立たなかった。硬い靴で蹴っ飛ばされて、気がついたらぼくは、一人で草むらの中で倒れていた。慌てて周囲の子たちに聞くと、彼女は連れて行かれてしまったと言われた。ぼくにはどうにもできなかった。ただ、泣くしかなかった。
でも、彼女との再開はすぐだった。数日後、彼女を連れ去った奴が彼女を連れて草むらにやって来たんだ。ぼくは、まさかまた会えるなんて思っていなかったから、嬉しくて仕方がなくて、彼女に声をかけた。けれど彼女は一瞬こちらをちらりと見ただけで、彼女の傍にいた奴が、僕の知らない名で彼女を呼ぶと、すぐにそちらに駆けて行ってしまった。僕のほうを、振り向きもしてくれなかった。もう彼女の眼中に、僕の姿は映らなかった。彼女はただ嬉しそうに、人間につき従っていた。とても悲しかったけれど、その人間は彼女のことを可愛がっているようだったし、彼女が幸せならそれでいいかなと思った。
そのときから、人間に愛されるということは、とても幸せなのだろうと思っていた。だって、彼女はあんなに幸せそうだったんだから。
人間にあこがれ始めたころ、ぼくも、人間に捕まった。ぼくを捕まえた人間は、彼女を捕まえた人間より年上のようだった。そいつはぼくをボールに入れると、すたすたと歩き出した。ぼくは、彼女がそうされていたみたいに外に出して連れ歩いてほしいなと思ったけれど、ぼくの言葉は人間には通じなかった。
歩いた距離は短かった。ほんの数歩先にある家に、そいつは入った。草むらの近くにあるから、ぼくも、それがどんな場所なのかくらいは知っている。
育て屋夫婦の家。
ぼくは、きっとそこに預けられるのだろうと瞬間的に思った。ぼくを捕まえたこの人間は、ぼくを連れ歩き愛すのではなく、この家に預けて他人にレベルを上げてもらうのだ。
……ううん、それでもいい、とぼくは思った。今のぼくは、とても弱い。だから、しばらくこの家に居て、少しは強くなったらきっとこの人間はぼくを迎えに来てくれる。そうしたら、ぼくを連れ歩いて、名前をつけて、愛してくれるだろう。それまでのしんぼうだ。強くなったら、きっと、いつか。
そう思っていた日から、いったい何日たったんだろう。ぼくは相変わらず、育て屋の家にいる。おじいさんとおばあさんはご飯をくれて、たまにあそんでくれるけど、それだけだ。彼女が受けていたような愛はくれない。あれは、捕まえた人間からしか受けられない愛だからだ。そして、ぼくを捕まえた奴はぼくを迎えに来てくれない。
ぼくと一緒に預けられている奴がいる。それは、ころころ変わる。この間は、大きな耳で、茶色い毛をした奴だった。その前は、長い脚をもった奴。今は、仮面をかぶった雪女みたいなやつだ。彼女は何も話さないから、ぼくも話しかけづらい。
たまに、ぼくを捕まえた奴が育て屋のおじいさんと話しに来る。
「卵はまだですか?」
「二匹の中があまりよくないようでのう」
「全く……メタモンなんて、それしか能がないんだからさっさとしろよ」
そしてそのたびに苛立たしげにつぶやいて、帰っていく。彼の後ろには、可愛らしい炎の馬がつき従っている。彼はときおり振り返り、その馬を愛おしげに撫でてやっている。彼は、愛せないわけではないんだ。ぼくを、愛さないだけなんだ。そう気づいた。
「今更気付いたの、ばかね」
雪女がそう囁いて、「結局わたしもあなたも、ただの材料に過ぎないの」と続けた。
「材料?」
「そうよ。卵を作るための材料。あのひとは、捕まえたポケモンを愛すことはないわ。優秀なそれらを掛け合わせて優秀な卵を作り、それから生まれた優秀なポケモンを愛し育てるの」
「ぼくは、いきものじゃなくて材料なの」
彼女は皮肉な笑みを浮かべてぼくを見ると、「かわいそうね」と言った。まるで、自分に言い聞かせているようにも思えた。なんとなく、すごく悲しくなって、ぼくは彼女を抱きしめてあげたい気持ちになった。
形を変えていくぼくを見ながら、彼女が独り言のように呟いた。
「わたしは卵を作るための、使い捨ての材料。あなたはずっと使われ続ける材料。愛されないことには変わりないけれど、どちらがより不幸なのかしら」
どんなに強くなっても、ぼくも彼女もあの人に愛されることはないようだ。仲良しのあの子は幸せで良かったと思ったけれど、ぼくもせめてただ一度くらいは、あの人の腕に抱かれて頭をなでられたいと思った。
そのかわりみたいに彼女を抱きしめると、彼女は声を殺して泣いた。しばらくそのままでいると、おじいさんが庭に出てきて、「おお、卵ができておる」と言って何かを取って出て行った。ほどなくして、玄関口で、あの人が喜ぶ声が空虚に響いた。