二次創作小説やBL小説が読める!投稿できる!二次小説投稿コミュニティ!

オリジナル小説 https://novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
二次創作小説投稿サイト「2.novelist.jp」

そまる

INDEX|1ページ/1ページ|

 

 不思議な夢を見た気がした。口の端に渇いた唾液の跡を感じる。布団の中と違い、冷えた空気の充満する部屋を歩くのは億劫であったが、意を決して布団をめくる。足の裏から伝わる寒さが身体を震わせた。無意識に出る寒い寒いという言葉が余計に寒さを感じさせる気がする。つま先立ちで洗面台に向かい、冷水で顔を洗う。すっかり冴えてしまった目で口端の汚れを確かめるように鏡を覗き込んだ。しかし自分の顔はまったく見えない。鏡が曇っているのだろうか。手に持っていたタオルで拭おうと鏡に向かう。そこで自分の背後にある壁がはっきり映っているのに気がついた。慌てて自分の手を見る。不透明に向こう側が見えるだけだった。



 自分はまだ寝ぼけているのだろうか。しかし何回見ても見えるのは、自分の手ではなく床だった。電球の明かりに手を透かしても、全く光は遮られることもなく目に飛び込んでくる。よくよく目をこらすと、自分と空気の境目であろう辺りがじんわりと濁って見えた。自分の身体は触ることが出来るし、どうやら自分は消えたわけではなく見えなくなっただけらしい。不思議な夢の続きなのだろうか。再び眠れば醒めるのだろうか。そんなことをぼんやり考えながら、コップに入った水を揺らす。考えれば考えるほどわけがわからなくなった。身体中の酸素を吐き出すようにため息をついてから、外に出ようと玄関に向かった。誰にも見えないなら、彼にも見えないのだろうか。



 部活が終わった後のテニスコートにも、あいかわらず一人分のラケットを振る音は響いていた。そっと金網越しに様子を覗くと、そこには案の定白石がいる。そばにあるベンチに座って見ても、白石は全くこちらに気づいている様子もない。集中しているのだろうか、やはり俺が透明で見えないのだろうか。ためしにベンチの端を爪で小突く。カツカツ、と高い音が鳴る。ふっと白石が手を止めてこちらを見た。気づいてくれたようだ、と思った刹那、小首を傾げて白石は練習を再開させる。なるほど、やはり彼にも見えないようだ。
 吐く息だけが白く濁って消えていく。こんな寒いのに、あんなに汗をかいている。そういえば彼の練習している姿をこんなにまじまじと見たのは初めてかもしれない。いつもふっと覗いて見ていると、白石はすぐに俺に気づいて部活をサボったことを叱り、個人練習の相手に誘う。そういう風に白石とテニスをするのは、なかなか嫌いじゃなかった。練習相手として不足はないし、何より白石は自分を高めようと、俺を高めようと考えながら打ち合いをしているのがボールから伝わってくるから。



 最初、不躾に距離を縮めようとする周りの人間に辟易していた。みんなが九州にいたときのことを聞きたがる。前の学校はどんなのだった?テニス部の雰囲気は?どんな練習をしてた?

目はどうしたの?

 いとも簡単に踏みつけられる気持ちに苦しさと苛立ちを抱えながら、のらりくらりとそれをかわす。どうしたのって、どうしてそんなこと、教えなくてはならないのか。誰も彼も九州にいた俺に興味は向けたけれど、ここに来た俺についてはひどく無関心だったようだ。テニス部に入っても、誰にも自分なんて見せたくなかった。我ながら幼い思考。自分を探られるたびに弱くなっていきそうで、怖かった。誰にも気づかれたくなかった。誰にも。

「千歳」
「んー?」
「まだ慣れへんか、ここは」
「そげんこつなかよ、みんなよくしてくれよる」
「そうか」
「そう」
「それでええんやったら、ええけど」
「うん?」
「千歳が思うより、みんな遠慮ないねん」
「……」
「かなわんな、どっちも」

 白石が言わんとしていることは、何となくわかったけれど、わかりたくなかった。自分のちっぽけなプライドが、変えられてしまいそうで。



 再び自分の手を見る。皮膚が凍りついてしまっているんじゃないか、というくらい冷えているのに、相変わらず自分の姿は見えない。はああ、と息を手にかける。温い空気が当たるのは感じるのに、見えるのは地面だけだった。そういえば見えないのは自分の姿だけで、声はどうなっているのだろう。ここで白石の名を呼べば、俺の存在に気づいてくれるのだろうか。誰もいない空間で声だけ聞こえるというのはいささかホラーだけれど、仕方ない。

「白石」

 白石は変わらずラケットを振り続ける。

「白石」

 ボールが壁に当たって反響する。上がった息遣い。

「しらいし」

 自分の唇が震える音がする。

 そうか、声すら届かないのか。姿が見えなくなった今、何もそれは不思議なことではない。なす術もないまま、時間だけが無情に流れる。一通り練習が終わったのだろう、散らばったボールを集めていく。吐く息は白く濁る。



 いつの間にか、誰も九州のことを聞かなくなった。あれだけ溢れていた話題は泡のように消えていき、気づけば誰も触れなくなっていった。見通しがよくなると、自分の立っている場所がはっきりと見えてくる。適当にかわした言葉の数々は、適当に流れていっていた。どこにも引っかかることなく、留まることなく、流れていった。そんな中の自分の立つ場所なんて決まっている。自分の身勝手さにうんざりした。

「最近どうや」
「変わりなかよ」
「難儀なやっちゃなあ」
「うーん」
「捨てろとは言わんけど」
「…うん」
「余計なもんは背負うなとだけ、言っといたる」

 白石のいう、俺の余計なものとはなんだろう。俺の背負っているものとは、なんだろうう。



「やっぱ変われそうにないか」

 隣の体温がじわりと溶けて身体を撫でる。少し考えてみる、と呟くと、白石の包帯に俺の涙がしみ込んでいった。2人の吐く白い息が境界線をぼかす。新しく色づけられた輪郭だって、きっと俺なのだ。
作品名:そまる 作家名:やよ