手をつなごう
「台風が来ているんだ」
ぽつりと呟かれた言葉に、兵助は「うん」と応え手に持っていた本を閉じた。隙間風に灯台の火が揺れ八左ヱ門の頬を斑に染める。八左ヱ門は文机に肘を付いて、心配そうな顔を少しだけ傾け兵助を見た。
「厩がな、雨漏りするんだ。大丈夫かな」
「この間修理したばかりじゃなかったか?」
「それは鳥小屋の屋根だ。それと七松先輩に壊された菜園の柵」
そう言って八左ヱ門が溜息を吐いたのを見て、兵助は笑った。
生物委員会は苦労が耐えない。菜園に塹壕や落とし穴を掘られたり、毒虫や蛇が脱走したり、牛や馬の出産に一晩中寝ずに付き合ったり…。
八左ヱ門はその全てに全力で向き合っていて、手を抜くということを知らないから、いつも何かしらに携わっていて忙しい。
二人でいる時くらい、委員会のことは忘れて欲しいんだけどな。
まぁ、八左ヱ門らしいといえば、らしいか…。
文机に本を置いて、手を差し出す。不思議そうにその手を見た八左ヱ門の手を「ほら」と言って取る。
「心配なんだろ。付き合うから、見に行こう」
温かな手を握れば、八左ヱ門は少し躊躇ったように指を折って兵助の手を握り返してきた。
立ち上がり八左ヱ門の手を引っ張る。
部屋を出ると、強い風が頬に吹き付けてきた。空には厚い雲が立ち込め、今にも雨が降り出しそうな雰囲気だ。
八左ヱ門が空を仰ぎ、「荒れそうだなぁ」と呟いた。さりげなく離れていった手で風に乱された髪を掻いて、回廊を降りていくその背中を追う。
照れているのだろう。八左ヱ門の足はいつもよりも速くて、兵助の笑いを誘った。
「八左ヱ門」
名前を呼べば吹きすさぶ風の音に阻まれ、声が上手く届かなかったのか、八左ヱ門が少しだけ兵助を振り返る。
「何か言ったか、兵助」
一瞬だけ立ち止まった八左ヱ門に、兵助は足を速めて追いつくと、その手を握った。何かを言おうとして開いた八左ヱ門の唇に掠めるような口付けをして、ぎこちなく開いたままの指に指を絡ませる。
「へい、すけ」
唇が離れ、八左ヱ門がどこか拗ねたような声を上げた。兵助は笑うと、八左ヱ門がそれ以上文句を言い出す前に、握った手を引いて歩き出した。
「…誰か来たら、離すからな」
そう呟いて足早に兵助の前に出た八左ヱ門との間で、腕がぴんと張る。兵助が引いていたはずの手が、逆に兵助の手を力強く引っ張った。
前を向いて振り返らない八左ヱ門の耳朶は、きっと今燃えるように赤くなっているだろう。
それが見えないのが恨めしいと、兵助は月の見えない曇り空を見上げ溜息を吐いて、八左ヱ門の手をぎゅっと握った。