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桜蕊降る

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町に行った帰りに、裏山を通ると生物委員会と会った。先頭を行く虎若と三治郎はどこから拾ってきたのか長い木の枝を振り回している。その後ろに一平と孫次郎の手を引いた八左ヱ門、更に後ろに孫兵が歩いていた。
「久々知先輩」
兵助に最初に気付いたのは孫兵で、さして嬉しくなさそうな表情の無さで抑揚無く名前を呼ぶ声に、八左ヱ門が振り返った。
「おう、兵助。遣いの帰りか?」
「ああ。そっちは?」
また何か逃げ出したのか、と視線で問えば、八左ヱ門は笑った。
「桜を探してるんだ」
「桜?しかし、花はもう散っているだろう」
言うと、八左ヱ門は少し困ったように笑って、孫次郎の手を孫兵に預けた。一平は八左ヱ門の手を離し、先を行く二人を追って走っていく。
「…何か理由がありそうだな」
一番後ろから後輩達の背中を見つめ、訊いた。八左ヱ門は兵助の隣に並ぶと、同じように前を行く後輩たちを見ながら「実はさ」とぽつりと話し始めた。
「孫兵の飼ってた蛇が死んだんだ。昨日の夜、冷えただろう。元々弱ってはいたんだが、耐えられなかったらしい」
「そうか」
「さっき墓を作ったんだ。そうしたら、虎若が花が必要だって言ってさ」
「それで桜を?」
「…それを理由に山を散策すれば少しは気も紛れるだろ?」
今日は天気も良いし、と八左ヱ門は空を見上げる。木漏れ日が八左ヱ門の頬に降り注ぎ、空を飛ぶ鳥の影が横切っていく。
 ふと、虎若と三治郎が道を逸れ、山吹の花を摘んで戻ってきた。それを孫兵に見せ、大事そうに腕の中へ仕舞う。一平は白い椿の花を一枝折って持っていた。
 やがて開けた場所に出ると、一本の桜の老木があった。八左ヱ門はここに桜があることを知っていたのだろう。もしかしたら花が盛りの頃に生物委員会で見に来たのかも知れない。一年生の足取りにも迷いが無かった。
 桜にはやはり、ほとんど花が残っていなかった。孫次郎の手を離した孫兵が木の下に立って、じっと上を見上げる。
 地上には花弁が散りばめられている。風が吹くと木が揺れて、桜蕊が降ってきた。それはぱらぱらと、まるで雨音のように微かな音を立てた。
 孫兵の気持ちを代弁しているような音だな…。
 そんなことを思って、兵助は立ち止まる。八左ヱ門は立ち止まらず孫兵の傍まで歩いて行った。
 地面に落ちていた花弁を集め、孫次郎が孫兵に見せる。孫兵は少しだけ笑って孫次郎の手の平にそれを握らせると、一年生達の頭をそっと撫でて、桜蕊を払った。
「…竹谷先輩、もう大丈夫です。花はいっぱい集まりましたから」
「そうか。良かったな」
八左ヱ門は頷いて、孫兵の頭をぽんと叩いた。
「じゃあ、帰ろうか」
「はい」
まだ桜の花弁を拾い集めている孫次郎を抱き上げ、八左ヱ門が皆を促す。兵助も、と呼ばれ、歩き出そうとして、ふと兵助は桜の木を振り返った。
「………」
背伸びをすれば届きそうな場所に、まだ綺麗に開いている花の群れを見つける。枝の下まで歩いていき、「一枝頂くよ」と木に声を掛けた。木はざわりと揺れて、またぱらぱらと花蕊を降らせた。
 手を伸ばして枝を手折る。しゃらしゃらと薄紅の花が揺れた。
「兵助、行くぞ」
随分と先に行ってしまった八左ヱ門の声が空に響いた。早く早くと響く虎若の声。三治郎が戻ってきて、兵助の手を握る。それから、桜の枝に気付いてにこりと笑った。
 三治郎に腕を引かれ、少し小走りになって孫兵の傍まで行くと、兵助は桜の花を孫兵に差し出した。
「久々知先輩…」
自分よりも一回り小さな手が、大事そうに桜の枝を握った。ありがとうございます、と小さな声で呟いて。
「…兵助は優しいな」
そんなことを言って、八左ヱ門が笑う。何を言うんだ、と兵助は呆れた。
「八左ヱ門の方が優しい」
桜の花を手折ることは出来ても、人の悲しみを受け止めてあげることなど、自分には出来ない。八左ヱ門だから、出来ることなんだ。
「俺よりずっと優しいよ」
兵助は呟いた言葉に、八左ヱ門が少しだけ恥ずかしいような顔をして俯いた。兵助は笑って、八左ヱ門の髪にそっと触れた。春の終わりを告げるように桜蕊が指を擦り抜けぱらぱらと落ちていった。
作品名:桜蕊降る 作家名:aocrot