片喰
日向で兵書を読んでいる内にうとうととして、そのまま少し寝てしまったらしい。はらはらと頬に何かが触れる感触で、兵助は目を覚ました。
風が吹き木々が揺れている。頭上に広がり揺れる樫の葉をぼんやりと見上げていた兵助の視界に、ひょこりと八左ヱ門の顔が入ってきた。
「起きたか」
「…八左ヱ門」
「もうしばらくすると雨がくるぞ」
八左ヱ門がそう言って指差した方を見れば、遠い空が薄暗く歪んでいた。
「ああ、本当だ…。起こしにきてくれたのか」
有難うと礼を言いながら身体を起こす。すると胸の辺りからはらはらと黄色いものが零れて、膝へと落ちた。小さなそれを摘んで持ち上げてみれば、片喰だった。
どうやら悪戯に、八左ヱ門が兵助の上へ撒いたものらしく、ちらりと八左ヱ門を見れば「似合うぞ」と言って笑っている。
「どうしたんだ」
「菜園の周りに繁殖してたから摘んだんだ。片喰は薬にもなるというので医務室に持っていってみようと思ってさ」
言いながら、八左ヱ門は身を屈め兵助の髪に触れた。髪の間に紛れこんでしまった花を摘む指先。髪先をつんと引かれて「痛いよ」と教えると、ごめんごめんと笑う。優しい手付きで八左ヱ門が花を摘んでいく。その伏せ目がちになった瞼をじっと見つめていると、八左ヱ門がふと視線を上げた。
「…なんだ?」
不思議そうにぽつりと呟いた八左ヱ門の、日に焼けた頬に触れる。
「八左ヱ門」
口付けを強請って顔を寄せた兵助に、八左ヱ門は兵助の唇ではなく頬に唇を押し付けた。少しかさついた、柔らかな感触が触れてすぐに離れていく。たったそれだけのことなのに、八左ヱ門の頬が赤くなっているのを見て兵助は笑った。離れていこうとする八左ヱ門の腕を引くと、傾いてきたその体を抱き締める。八左ヱ門の持っていた籠が引っ繰り返って、二人の上に片喰が舞い散った。その色鮮やかな黄色い花吹雪の中で、兵助はそっと八左ヱ門に口付けた。