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きみが笑うと、僕も笑う

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「腹が減った」と八左ヱ門が呟いた。夕飯の時間まではまだいぶ有り、すぐに食べれるものも持っていなかったので、兵助はただ「そうか」と返すだけに留まる。八左ヱ門がそれに落胆したように黙り込み、腹を抱えて丸くなり、兵助に背中を向けた。
「…どうしてそんなに腹が減ってるんだ」
「昼飯抜きだったんだ。毒蜘蛛が逃げ出して、探し回っていて食いそびれた」
「ああ…」
そういえば、八左ヱ門とは朝飯を一緒に取ったきり、昼は雷蔵と三郎の姿しか見なかったなぁと思い出す。
 教えてくれたら食堂で握り飯でも作ってもらったのに…。
 兵助は兵書を閉じて文机に置くと、八左ヱ門の髪にそっと触れた。一日のほとんどを外で過ごす所為だろう。日に焼けた髪は乾いていて固い。指先で毛先に向かい梳いていると、絡まった髪に爪が引っ掛かった。
「痛い」
腹が減っているからだろう。八左ヱ門が拗ねたような声を出す。
「ごめんごめん」
謝って八左ヱ門に向き直り、絡まった髪を丁寧に指先で解いた。
 八左ヱ門の髪からはいつもと同じ乾いた土と太陽の匂いがしている。
 草木に分け入ったのだろうか。野原に寝転んだのかも知れない。髪の中から小さな白い花が出てきて、思わず笑ってしまう。なんだというように振り向いた八左ヱ門が兵助の指に摘まれた花を見て「雪柳だ」と言った。
「ああ、雪柳の花か…。随分と可愛いものをつけてきたな」
「雪柳の下に孫兵の飼っている蛇が寝ていたんだ。ついでだから掴まえてやったら鎌首をもたげて怒ってたぞ」
「…孫兵の飼っている蛇と言ったって、毒蛇だろう。噛まれないように気をつけろよ」
小言を言いながら身を屈めて八左ヱ門の腹に手を回し、口付けた。八左ヱ門は兵助の腕の中で寝返りを打って、首筋を擽った兵助の髪を掴んだ。
「…腹が減っているから無理だ」
啄ばむだけの口付けの後、八左ヱ門は兵助をじっと見上げてそう言った。警戒をしているようなその表情を笑ってやりながら、兵助はまだ何か言いたそうにしている八左ヱ門の唇を塞いだ。かさついた唇の間へ舌を差し込めば、「ん」と喉を鳴らしてそろそろと唇を開く。顔を傾け口付けを深くしながら、兵助が八左ヱ門の腰紐に手を掛けたところで、八左ヱ門の腹が盛大にぐうと鳴った。思わず口付けをやめて、八左ヱ門の顔を見る。
「…だから、無理だと言っただろ」
ばつが悪そうにそう言ってから、八左ヱ門が我慢出来ないように吹き出した。
「兵助、目が真ん丸になってるぞ」
「…色気が無いぞ、八左ヱ門」
「そんなもん必要ない」
八左ヱ門はくつくつと笑いながら、ごろりと寝返りを打って床に腹ばいになった。腕に唇を押し付けて声を殺そうとしているが、肩がまだ震えている。
「全く…」
兵助は溜息を吐いて、八左ヱ門を背中から抱き締めその髪に口付けた。
「腹がいっぱいになったら付き合ってもらうからな」
そう告げると、八左ヱ門が肩越しに涙に濡れた目を見せて「いいよ」と笑った。目尻が赤く染まっているのを見て、兵助は笑いながらそこへ唇を押し付けた。
作品名:きみが笑うと、僕も笑う 作家名:aocrot