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恋心

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火薬庫には火気が持ち込めない。昼間でも薄暗い倉庫の中は夜になれば月明かりに頼るしかなく、曇り空の日は鼻がぶつかるほど近寄らなければお互いの顔も分からないほどに暗い。
「へ、すけ…」
八左ヱ門が囁くように名前を呼んだ。何かに縋ろうとして伸ばした腕が火薬の原料が入った壷に当たる。ゴンと音が鳴って、「いて」と八左ヱ門が悲鳴を上げた。兵助はその腕を引き寄せると、指先に口付けた。
 八左ヱ門の指はガサガサとしている。生物委員会で植物や動物の世話をする所為だろう。今日も菜園で木の棘に引っ掛けて指先を切ってしまったのだと言っていた。ささくれ立っている中指を唇に含む。歯を立て皮膚を噛むと、八左ヱ門の身体がぴく、と跳ねた。
「兵助、痛い」
「………」
「痛いって言ってるだろ」
怒ったような声と共に、指をぐいと口の奥へ突っ込まれて、急いで吐き出すと、八左ヱ門はざまぁみろと笑っていた。溜息を吐いて、笑ったままの唇に口付ける。指と同じようにかさついた八左ヱ門の唇を舐めて濡らし、口腔に舌を差し込んで八左ヱ門の舌に触れる。深い口付けに八左ヱ門はいつまで経っても慣れず、ぎこちない仕草で顔を傾けぎゅっと目を閉じた。
 この顔を見る度に、最初に口付けを交わした時、八左ヱ門が息を止めていて、顔が真っ赤になっていたことを思い出す。どうして息をしないんだと訊いたら、どうやってしろと言うんだと怒られた。そんなことを思い出して小さく笑った兵助に、八左ヱ門がムッとしたように顔を逸らした。
「…火薬庫の整理を手伝って欲しいというから、来たんだぞ」
唇が離れると、八左ヱ門が恨みがましい様子でそう言う。
 火薬庫の整理は午後の委員会で終わらせていた。わざわざ火薬庫に八左ヱ門を呼び出したのは、二人きりになりたかったからだ。
 そんなことも分からないんだよな…。
 八左ヱ門は生真面目だから、きっと兵助の本心など探ろうともせず、本当に火薬庫の整理を手伝おうと思ってついてきたのだろう。
「八左ヱ門が、三郎や雷蔵とばかり話しているからだ」
一緒に夕食を取っていたのに、二人の方ばかり向いて、兵助が話しかけても気の無い返事をするから、腹が立ったのだ。
「俺も勘右衛門もいたのに」
「仕方ないだろ。今日の授業について話してたんだから」
「食事の時間に話すことないだろう」
あの二人とはいつも一緒なのに、と言うと、八左ヱ門の目が丸くなる。
「兵助…お前、もしかして妬いてるのか?」
驚いたように言われて、兵助ははぁ、と溜息を吐いた。
「八左ヱ門、お前気付いてなかったのか」
いつだって、同じ組でないことを不満に思ってた。いつも八左ヱ門と一緒にいる雷蔵と三郎が羨ましかった。そんなことを言えば八左ヱ門は「そんなの関係無い」と言って笑うだろう。だから言わなかったのだ。
 それでも、こんなもどかしい気持ちを、少しは分かってくれていると思っていたのに。
「…さすが八左ヱ門…」
「どういう意味だよ」
「そのままだよ」
真っ直ぐで、馬鹿正直で、人を疑わない。
 まぁ、そういうところを好きになったんだけど…。
 長い溜息を吐き出しながら、八左ヱ門の身体をぎゅっと抱きしめて、固い癖毛に頬を押し付ける。八左ヱ門の手が兵助の頭をぽんぽんと撫でる。
「他の皆と、兵助は違う。兵助は頭が良いから、そんなこと言わなくても分かってると思ってた」
「それ、頭が良いとか関係ないだろ」
「すまん…」
「悪いと思うなら、もう少し付き合ってくれ」
日に焼けた八左ヱ門の頬に口付ける。目尻に、瞼に、額にそっと口付けていくと、八左ヱ門がくすぐったいと言って笑った。軽やかに震えるその身体を腕の中に抱き締める。
「好きだ」
そう告げると、八左ヱ門の手が兵助の背中をぎゅっと抱いた。熱くなった八左ヱ門の耳朶が頬に触れ、「俺も」と囁く小さな声が聞こえた。
作品名:恋心 作家名:aocrot