昼休み
木陰のベンチで背中合わせに座っていた八左ヱ門が空に向かい文句を言うように呟いた。太陽が天辺にある昼は木陰が小さく、細長いベンチの半分は太陽の光に晒されている。八左ヱ門の食べているアイスは溶けかけていて、棒の先から滴ったそれが腕を伝い落ちると、八左ヱ門は慌てたようにアイスを傾けて避け、自分の腕をぺろりと舐めた。その間にもアイスは溶けて土の上に歪な水玉模様を作っていく。
「…八左ヱ門」
見かねてハンカチを差し出すと、八左ヱ門はサンキュと短く言ってそれを受け取り、自分の腕を拭いた。
「早く食べてしまえよ。昼休み、終わるよ」
「まだ十五分あるだろ」
「もう十分しかないよ」
校舎の時計を指差して教えてやる。
「あれは五分早いんだよ。兵助、知らないのか?」
得意気に言うので、溜息を吐く。
「残念だけど、昨日業者を呼んで直したんだって。勘右衛門が言ってたから間違いないよ」
「マジか」
驚いたように兵助を見た八左ヱ門の手から、緩くなったアイスが音を立てて地面に落ちた。ああ、と八左ヱ門が情けない声を上げる。アイスはあっという間に液状になると地面に吸い込まれていった。
「早く食べないからだ」
「だって頭がキーンってなるじゃん。俺、あれ駄目なんだよ」
裸になった棒を恨めしげに見ながら、八左ヱ門が言う。
そういえばこの間、夏祭りに行った時も八左ヱ門のカキ氷がすっかり溶けてただの色水になってしまっているのを見て、三郎がからかってたっけ…。八左ヱ門は不満げな顔をして、着色料に青く染まった舌を覗かせながら三郎に文句を言っていた。
それを見て、女の子と一緒の時にブルーハワイを食べるのはやめよう、と勘右衛門が言った。どうしてと訊けば、青い舌のやつとキスしたくないだろと笑って言った。
そうかな、と兵助は返した。
俺は八左ヱ門の舌がどんな色だって、キス出来るけど…。
そんなことを思った。その日の帰り道、兵助は八左ヱ門にキスをした。八左ヱ門の舌はもういつものピンク色に戻っていて、最後に雷蔵と食べていたたこ焼きのソースの味がしていた。
そんなことを思い出していると、背中にトンと八左ヱ門の背中が当たってきた。ぐぐ、と体重を掛けられ「重いよ」と言えば、「失礼な」と笑う声がする。
八左ヱ門は無邪気だ。その無邪気さが愛しくもあり、少しだけ迷惑でもある。
触れられるだけで、身体が熱くなる。そんな感情を兵助が持っているなどと気付きもしないのだろう。
汗に濡れた八左ヱ門の腕が兵助の肘に触れる。
キスしたいな…。
湧き上がってきたそんな思いを隠すように、広げていた小説に視線を落とす。視線は字の羅列を追うが、意味は全く頭に入ってこなかった。
「兵助」
「うん」
「ハンカチ、洗って返すわ」
「いいよ、そのままで」
「そうか?じゃあ…」
肩越しに、ハンカチを差し出してくる八左ヱ門の手を、兵助はハンカチごと握った。八左ヱ門が動きを止めて、兵助を振り返る。
こんなに暑いのに、離れていく背中の熱が少し切ない。
「…兵助?」
「…なんでもない」
ハンカチだけを兵助の手の中に残して、八左ヱ門の手が離れていく。八左ヱ門はそのまま立ち上がると日向の中へ出て行ってしまった。
ああ、もう昼休みが終わるのか。もうちょっと一緒にいたかったのに。
八左ヱ門が青空に向かい大きく腕を突き上げて伸びをする。
「兵助」
名前を呼ばれ八左ヱ門の顔を見上げる。太陽の光が眩しくて目を細めると、そんな兵助の表情がおかしかったのか、八左ヱ門が笑った。
予鈴が鳴り響き、八左ヱ門が振り下ろした手を兵助に向け差し出してくる。
「今日兵助んち寄ってっていい?」
まるで兵助の心の中を見透かしたように、八左ヱ門が言った。
ああ、不思議だ。いつも八左ヱ門は俺が一番欲しい答えをくれる…。
八左ヱ門の顔を見つめていると、熱い手の平が兵助の手を掴んでぐいと引っ張った。
「兵助、返事は」
「もちろん、いいよ」
立ち上がり、八左ヱ門に引かれるまま日向に歩み出ながら兵助は頷いた。光の中で八左ヱ門が嬉しそうに笑った。それはきらきらとしていて、兵助の目には太陽のように眩しく見えた。