薄紅に染まる
花は今が盛りだ。後は散っていくばかりだろう。散る前に花見に行こうと、今朝会った時に雷蔵が言っていた。学年が上がるにつれ皆で揃って出掛けることが少なくなった。雷蔵はそれを寂しく思っているのかも知れない。立ち止まり、桜の木を見つめる。ふっさりとした花房が風に揺れていた。
暫くそうして桜を見ていると、その向こうにある櫓の影から八左ヱ門が歩いてきた。手に桜の枝を持っている。折ってきたのだろうか。枝の端が歪に裂けているのが遠目にも分かる。なんとなく気になってしまい、回廊を降りて、足早に八左ヱ門の元へ向かった。
小走りになりながら、八左ヱ門、と名前を呼んだ。八左ヱ門は顔を傾けるようにして振り向くと、おう、と応えにこりと笑った。立ち止まって待っていてくれたその横に並んで、一緒に歩き出しながら、八左ヱ門が持っている桜を覗き見る。枝の先には薄紅の花が咲いている。
折ってきたのか、と訊いた。雷蔵が花見をしたがっていたので、もしかしたら土産に持って帰ったのかも知れないと。だが八左ヱ門は、まさかと笑って首を振った。知らないのか兵助、桜は折れた所から腐ってしまうんだぜ。桜を手折るのは桜の命を奪うことだ。
これは昨日の風で折れてしまった枝だよ。雷蔵に見せてやろうと思ってさ。その後は薬の研究をするつもりだ。そう言って八左ヱ門は愛しげな目で桜を見つめた。考えてみれば、八左ヱ門が一時の楽しみのために桜の枝をこんな風に無惨に折るわけがない。馬鹿なことを言ってしまったと後悔する。
ごめん、と謝ると、八左ヱ門は不思議そうな顔をした。どうしたんだ兵助、と言って笑う。謝罪の意味を説明しようと口を開く前に、桜の花が兵助の唇に触れた。八左ヱ門が枝から一房千切ったものだった。ひんやりとした花弁が唇から離れ頬をくすぐっていく。
あぁやっぱり、と八左ヱ門が目を細めた。兵助には桜が似合うな、と言って。髪に桜の花を挿される。耳の近くで花が揺れ、しゃらりと小さな音を立てた。他の誰かにやられたものならば、すぐにむしりとってしまっただろう。
けれど、八左ヱ門が、似合うぞ兵助、と笑うので、兵助は髪に挿した花をそのままに、八左ヱ門をじっと見つめた。笑い声が止んで、八左ヱ門が兵助を見返してくる。怒ったのか、と的はずれなことを訊いてくるので、首を振って、兵助は八左ヱ門の手にある桜の枝から花を一房千切り、八左ヱ門の髪に挿した。
八左ヱ門の頬がじわりと赤く染まっていく。ぎこちなく逸らされようとした視線を追って、顔を覗き込むように口付けた。二人の耳元で、桜の花がしゃらりと鳴った。八左ヱ門の、薄紅に染まった耳朶が、桜の花よりも綺麗だと、兵助はふとそんなことを思って笑った。
120405ツイッターより。