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空蝉

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薄曇りの空からぽつぽつと雨が降り始めた。それはあっという間に雨足を早め、ざああという音と共に板張りの廊下を濡らし始める。
 溜息を吐いて立ち上がり、部屋の戸を閉めた。
 最近どうも立て付けが悪く、途中で二度程抵抗を感じるようになった。油でも差してみようかと、戸の下の部分を見つめていると、背後から「雷がきそうだな」と八左ヱ門の声が聞こえた。
「雷蔵が心配だ」
そう言って、子供を心配するような声を出すので笑う。
「中在家先輩が一緒だ。大丈夫だろ」
雷蔵は本の買い付けで図書委員長の中在家長次と町に出掛けている。夕方には戻ると言っていたが、まだ戻らない。この雨では暫くは無理だろう。
「それより、さっきから何をしてるんだ」
少し前に部屋に戻ってきてからずっと、壁に向かいせっせと何かをしている八左ヱ門の背中に聞いた。八左ヱ門は肩越しに三郎を振り返ると、指で摘んだ何かを三郎に差し出して見せる。近寄っていって見れば、それは空蝉だった。
「…蝉の抜け殻じゃないか」
「午前中に生物委員会の皆で山に散策に行って拾ってきた」
立派なものだろう、と八左ヱ門が空蝉を三郎の鼻先に寄せる。ぱくりと割れた背中からまだ何かが出てきそうな生々しさがあり、思わず首を逸らして避けると、八左ヱ門が嬉しそうに笑った。
 手元を見ればふたつ駕籠を置いて、空蝉の選別をしていたようだ。
 保健委員会にでも頼まれたのだろう。空蝉は薬の材料になる。毎年この時期になると生物委員会は山に入り空蝉拾いをしている。
 八左ヱ門の横に胡坐をかいて座り、じっと手元を覗き込むと、「欲しいのならやろうか」と言われた。
「虎若と三治郎もいくつか持っていったぞ。…きっと悪戯に使うんだろう」
空蝉をひとつずつそっと、手の平の中で転がして確認しながら、八左ヱ門が言った。
 横顔がふわりと微笑み、優しい顔になる。後輩達の話をする時、八左ヱ門はいつもこんな顔をしている。言葉には出さなくても、後輩達が可愛くて仕方ないと、そう言っているようだ。
「どうだ、綺麗だろう」
八左ヱ門が空蝉を灯りに透かして見せる。それは光が当たると金色に輝き、良く出来た鼈甲細工のように見えた。
「三郎」
「うん?」
「蝉の羽化を見たことがあるか?」
「いや。無いな」
首を振った三郎に、「勿体無いなぁ」と八左ヱ門が首を少し傾げた。また空蝉を駕籠に振り分けながら、「綺麗なのに」と呟く。
「羽化したばかりの蝉は綺麗な翡翠色の羽根をしているんだ。夕暮れに羽化を始めて一晩かけて体を乾かし、固くするんだよ」
「どうして夕暮れなんだ」
「外敵に襲われる危険が少ないからさ」
「へえ」
感心して頷いたのだが、八左ヱ門はそれが不満だったように小さく溜息を吐いた。
「反応が薄くてつまらんな。一年生なら目を輝かせて聞く話だぞ」
「これでも感心している。八左ヱ門にしては、なかなか良い話だった」
そう言えば、「もういいよ」と拗ねて顔を逸らしてしまう。すると途端に子供っぽい顔になった八左ヱ門に、三郎は笑いを噛み殺した。
 こういう顔は一年生の時から変わっていないんだからな…。
 最後ひとつ残った空蝉を駕籠に入れて蓋をすると、八左ヱ門はそれを部屋の端へふたつ並べて置いた。それからふと思い出したように三郎を振り返り、にやりと笑う。胡坐をかいたままずいと三郎の方へ寄ってきた膝が、三郎の膝へごつりと当たった。
「そういえば、その話をしてやった時、孫次郎が面白いことを言っていたぞ」
八左ヱ門の指が三郎の頬をぎゅっと抓る。指先からは乾いた土と、青い草の匂いがしていた。爪先で三郎の顔の皮を摘むようにして引っ張った八左ヱ門の手を思わず掴んで止めさせる。八左ヱ門が小さく笑った。
「鉢屋先輩はいつ羽化するんですかね」
孫次郎がそう言ったのだろう。あの少し怯えたような話し方を真似てそう言った八左ヱ門の目を、じっと見返す。からかうような色を濃く映し出している瞳に呆れて、八左ヱ門の手首を掴んで顔から離した。
「私は蝉じゃないぞ」
「…三郎は外敵が多いから羽化が出来ないんだと言ったら納得してたよ」
「それも失礼な話だ」
「皆お前の本当の顔を知りたがってる」
今度はそっと、温かな手の平が頬に触れた。
「お前もか、八左ヱ門」
そう訊くと、八左ヱ門は目を丸くして黙り、そして声を上げて笑う。
「そりゃあ、知りたいに決まってる」
呆れたような、面白がっているような声でそう言ってから、八左ヱ門は三郎の手を握った。
「でも、どんな顔をしていたって俺は三郎だって分かるから」
そのままでもいいぞ、と囁いた唇が三郎の頬に触れた。顔を離して見ると八左ヱ門の頬は照れたように赤くなっていて、三郎の笑いを誘う。すると益々恥ずかしくなったようにじわりと赤く染まっていった首筋に、三郎はそっと唇を押し付けた。
「全く…敵わないよ、お前には…」
溜息を吐いた三郎の肩を、八左ヱ門の手が優しく抱いた。いつの間にか雷は遠く離れ雨音は止み、重なり合い響く蝉の声が聞こえてきていた。
作品名:空蝉 作家名:aocrot