春告花
鎌倉の家の庭にも何本か辛夷の木があって、春になると花を咲かせていた。
「一年は組、集合」
少し離れた松の木の下で、黒い忍び装束に身を包んだ教師が声を上げる。僕は受付で渡された紙を確認すると、慌ててその教師の元へ走った。生徒の頭を指差し数えていた教師が、僕を見て目を丸くする。
「おいで」
手招きされ、僕は指差された場所へ立った。
「君は金吾の弟だね」
懐かしそうに響く、優しい声。大きな手の平で頭を撫でられて、僕はその人の顔をじっと見つめた。
兄上が言っていたっけ…。担任の先生は優しくて、まるで本当の兄上のようだったと。
「…土井、先生ですか?」
恐る恐る訊くと、教師はにこりと笑った。
「そうだよ。君は金吾にそっくりだね。…庄二郎、ちょっとこっちにおいで」
土井先生が集まった生徒達の中から一人を呼んで手招いた。その子を僕の隣に並べると、土井先生は「山田先生」と他の教師を呼んだ。
山田先生って…女装する先生だ。その女装がとにかくすごいのだと、良く兄上が笑いながら話していた。
土井先生に呼ばれて近寄ってきた山田先生は、とても女装をするようには見えなかった。僕ともう一人の子を見て、感心したように立派な顎鬚を撫でる。
「…そっくりだな」
「そうでしょう。まるであの頃に戻ったようですね」
その内に他の教師も通りかかって「ほう、本当にそっくりだな」などと言うので、だんだんと恥ずかしくなって、僕は俯いてしまった。
もう一人の子…庄二郎は年齢の割には大人びた顔をしていて、教師達の視線にも動じずじっと前を向いていた。
その庄二郎が僕と同じ、卒業生の弟だと聞いたのは、庄二郎と僕が同室に割り当てられて荷解きをしている時だった。
兄上は学園にいる頃、良く庄二郎の家も訪れていたらしい。庄二郎にまで、本当にそっくりだねと言われて、僕はまた俯くはめになった。
僕は兄上を尊敬している。兄上は強く、優しい。そんな兄上と似ていると言われて嬉しくないわけではないけれど…気恥ずかしさの方が先に立ってしまい、素直に喜ぶことが出来なかった。
その日の夜、僕は布団に入ってからなかなか寝付けずにいた。実家から遠く離れたこの場所でこれから長い間家族と離れて過ごすのかと思うと、不安と寂しさに涙が出そうになって唇を噛んで耐えた。そんな僕に気付いた庄二郎が「どうしたの」と声を掛けてきた。暗闇の中で、庄二郎の大きな真ん丸の目が瞬くのが見えた。
「ごめん…起こして」
「眠れないの?」
「うん、ちょっと…緊張してるみたいだ。大丈夫だよ。先に寝て」
そう言って僕が黙ると、庄二郎も黙ったので、部屋はまたしんと静かになった。寝返りを打って、庄二郎に背中を向ける。もう寝てしまったんだろうと思っていたが暫くすると「ねえ」と声を掛けられた。
「…鎌倉にも辛夷の花は咲く?」
そんなことを訊かれ、また寝返りを打って庄二郎を振り向く。庄二郎は真ん丸の目で僕を見ていた。
「…家の庭にあるよ」
僕の答えを聞くと、庄二郎は「分かった」と言って布団を捲り立ち上がって、止める間もなく部屋を出て行ってしまった。
夜中に部屋を抜け出すなんて。先生にばれたら怒られてしまう。
「しょ、庄二郎…」
追いかけようとして布団を抜け出したものの、部屋を出る勇気が出ないまま、入り口に立ち竦んでいると、庄二郎はすぐに戻ってきた。駆けてくる、その手には白い花を咲かせた辛夷の枝が握られていた。
「…折ってきたの?」
随分思い切ったことをするものだと、驚いて訊いた僕に、庄二郎はにこっと笑った。辛夷の花の匂いがふわりと部屋に広がる。庄二郎はそれを二つ並んで敷いてある布団の間に置いた。
「鎌倉と同じ匂いがするだろ?」
そう言って得意げに笑った庄二郎の顔を見て、僕も笑った。
布団に寝転んで、花の香りを胸いっぱいに吸い込む。不思議と、不安は無くなっていた。
庄二郎のおかげだ…。
「ありがとう、庄二郎」
少し恥ずかしかったので布団を鼻の下まで持ち上げて、礼を言った。
「今度の休み、うちに遊びにおいでよ。兄ちゃんがきっとびっくりする」
庄二郎が良いことを思いついたというように、そう言った。
「うん…庄二郎の兄上、見てみたいな…」
庄二郎の兄上も、庄二郎そっくりなんだろうか…。あ、違うか…庄二郎が兄上にそっくりなのか…。
そんなことを考えているうちに、だんだんと眠くなってくる。
会ったら、何を話そう…兄上のことを、訊いてみようかな…。また、そっくりだねって言われたら、どうしようか…。
まだ顔も知らない庄二郎の兄上と会うことを考えると、なんだか心臓がくすぐったいような気がして、僕は布団に潜り込んだ。