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焦がれる

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緩やかに吹いている秋風に灯火が揺れる。壁をうねらせるその橙色の灯りの中で庄左ヱ門は本を読んでいた。乾ききらない濡れ髪を結んだのは伊助だろうか。庄左ヱ門はきっと伊助のしたいままにさせたに違いない。悪戯心が働いたのか、まるで女の子のように天辺で纏められた前髪から、ぽろりと零れ落ちた一筋が形の良い額に細い影を落としていた。
「…随分可愛らしいな、庄ちゃん」
覗き込んだ戸口から声を掛けると、庄左ヱ門が本を捲りかけた手を止めて顔を上げた。
「…きり丸」
「伊助は?」
「さっき池田先輩に呼ばれていった」
「ふうん」
見るとも無しに部屋の中をぐるりと見回す。自分達の部屋とは違い、庄左ヱ門と伊助の部屋は整然としている。この二人の部屋が乱雑しているところなど今まで一度として見たことがない。
「…そんなところへ立っていないで入れば良いじゃないか」
庄左ヱ門が小さく笑う。
「うん」
「何を遠慮してるんだよ。らしくない」
ぱたりと本を閉じて傍らへ置くと、庄左ヱ門は少し膝をずらしてきり丸を招いた。庄左ヱ門の手に促されるままに床にあぐらをかいて座る。庄左ヱ門が読んでいた本を見れば、南蛮の本だった。
 そういえば昨日の昼、図書室に来ているのを見た。図書委員長の能勢久作を掴まえて何かを話していたが、この本を探していたのだろうか。
 床に置いたままの本を行儀悪くぱらぱらと捲る。
 見たことのない動物の絵や、華美な船の絵、どこかの国の文字。庄左ヱ門がきり丸の手元を覗き込んで、小さく息を吐いた。
 本の世界に焦がれているような、そんな熱っぽい溜息だった。
「…庄左ヱ門、南蛮に行きたいんだっけ」
「きり丸は見てみたくないのか?海の向こうに何があるのか」
「俺?うーん…」
自分が船に乗り航海をする姿を想像してみる。船に乗ったことはあるが、想像の中の海は所詮いつも行く見知った場所でしかなく、それ以上の広がりを見せなかった。
「俺は別に、興味ねぇな」
「お宝がいっぱいあるかも知れないぞ」
庄左ヱ門にしては珍しく、意地悪くからかうような声を出すので笑った。
「そりゃ大変だ。庄左ヱ門の荷物持ちをするから連れてってくれ」
「荷物持ちの駄賃をせびる気だろう」
「友達だから安くしてやるよ」
「怖いな」
声を上げ庄左ヱ門が笑う。お互いに顔を見合わせてしばらく笑った後、庄左ヱ門が少し俯き、滲み出してきた涙を指で拭った。
 笑い声の消えた部屋に落ちた沈黙は、少し奇妙でぎこちない。
「…なぁ庄左ヱ門」
「なに」
「南蛮に行く時は絶対知らせろよ。俺に黙って行ってしまうなよ」
庄左ヱ門の膝に置かれた手を握る。思わず懇願するような声を出したからだろう。庄左ヱ門が小さく笑って、うっすらと涙に濡れた目できり丸を見た。
「ああ、必ず知らせるよ」
手を平を見せて、きり丸の手を握り返してくる温もり。
「なぁきり丸」
「うん?」
「もしその時、僕が立ち止まっていたら背中を押してくれないか」
いつものように庄左ヱ門なら大丈夫だろと笑ってくれないか。
 庄左ヱ門はそう囁いて笑った。強く真っ直ぐな瞳をして。
「…庄左ヱ門なら大丈夫だ」
きり丸は言って、庄左ヱ門の額に唇を押し付けた。「今じゃない」と呆れたような声が聞こえる。湿った目尻に唇を押し付けると、ありがとうと言われ、なんだか、照れくさくなった。
「なんか、行けそうな気がしてきた」
「さすが庄ちゃん。きっと行けるさ…」
作品名:焦がれる 作家名:aocrot