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夜空

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吐き出した息が空中で白く濁る。日が暮れたからだろう。気温が下がり、隣を行くきり丸の息も庄左ヱ門と同じように白く濁っていた。
 雲ひとつ無い星空をきり丸が見上げる。結い上げられた豊かな黒髪がふさりと、きり丸の背に揺れた。
 時間を惜しむように足早に歩く癖のあるきり丸の歩調が今、いつになくゆっくりなのは体がままならない庄左ヱ門に合わせている所為だ。
 庄左ヱ門の右足には包帯が巻かれている。午後の演習で脛に負った傷を庇うためのものだ。歩けないほどではないが、地面に足を着く度傷が痛む。
 演習では他にも何人か怪我人が出て、その所為で保健室に詰めっきりになった乱太郎の代わりに、きり丸が庄左ヱ門を迎えに来た。まさかきり丸が来るとは思っていなかったので、保健室の戸からきり丸が顔を出した時は驚いた。
「…伊助が来ると思ってた」
そう言うと、きり丸が庄左ヱ門を振り向いた。
「たまたま俺が図書室からの帰りで保健室の前を通ったからだ。伊助じゃなくて悪かったな」
肩を竦めて笑いながら言うので、「そうじゃないよ」と首を振った。
「ただ、乱太郎が伊助を呼ぶって言ってたから。…僕は一人でも大丈夫だって言ったんだけどね」
「乱太郎は心配性だからな」
「そこが乱太郎の良いところだよ」
「まぁ、そうだ」
ぽつぽつと話しながら、ゆっくりと歩を進めていく。きり丸がまた空を見上げたので、つられるようにして上を見る。まだ低い位置にある白い月と、ぽつぽつと光る星が見えた。
 綺麗に晴れている。明日の朝は一段と冷えるだろうな…。
 そんなこと考えてぼんやりとしていたからか、土の上に飛び出した木の根に足を取られる。躓いた庄左ヱ門の肩を支え、きり丸が立ち止まった。
「ちゃんと前見て歩けよ、庄ちゃん」
「きり丸だって、」
「俺はいいんだよ。怪我してないんだから。…ったくしょうがねぇなぁ」
そう言いながら、きり丸が庄左ヱ門に背を向けて屈む。ほら、と促され「大丈夫だ」と意地を張ろうとしたが、躓いた所為で足がずきずきと痛み始めていたので、素直にきり丸の背中に体を預けた。
「掴まってろよっ、と…」
ぐらりと不安定に体が揺れ、ぎゅっときり丸の首にしがみ付く。
「ごめん、きり丸」
立ち上がったきり丸が苦しそうな顔をしたので、咄嗟に腕を緩めようとするとぐいと掴まれ前に回された。
「良いからちゃんと掴まってろって」
きり丸が足を踏み出す度、ゆらゆらと視界が揺れる。
「今日は星が綺麗だね…月もこんなに大きく見える」
いつもよりも少しだけ高い位置から見る景色がなんだか不思議だった。
「…俺が来て良かったろ」
途中、ずり落ちてきた庄左ヱ門の体を背負い直しながら、きり丸が得意気に言ったので、笑った。長くしなやかなきり丸の黒髪に頬を付ける。図書室にいたからだろうか…微かに古紙の匂いがした。
 きり丸が歩いて行く先にぼんやりと長屋の明かりが見えてくる。伊助はもう戻ってきているようだ。部屋に明かりが灯っている。
「…伊助が心配するだろうな」
きり丸の髪に鼻を埋め、庄左ヱ門はぽつりと呟いた。
 庄左ヱ門が怪我をした時、伊助は傍にいなかった。傷からの出血が多くあったので、庄左ヱ門は最後まで演習場所には残らず先に学園に戻ってきている。きっとこの足を見たら、すごく心配するだろう。
 そんなことを考えて黙った庄左ヱ門に、きり丸が溜息を吐いて足を止める。どうかしたのかと横顔を窺えば、呆れたような顔をしていた。
「…どうしたんだ、きり丸」
驚いて訊けば、「庄左ヱ門が鈍いのは知ってたけどさ」と失礼なことを言って、きり丸は庄左ヱ門の体を背負い直した。
「さっきから伊助の話しかしてない」
「そんなこと、ない」
「あるね」
「ないよ」
「あるって。…俺はさぁ庄ちゃん、俺と伊助とどっちが好きかなんてそんな下らないこと訊きたくないんだけど」
「それなら、訊かなければ良いじゃないか」
むっとして言い返すと、きり丸がそれを聞き声を上げて笑った。
「じゃあ他の言い方をする」
庄左ヱ門を振り返るように見せた、綺麗な横顔をじっと見つめる。
「…いいよ」
「俺は庄左ヱ門が好きだよ。だから、庄ちゃんも伊助よりも俺を好きになれよ」
まるで夜空の星に願いをかけるように、きり丸が囁いた。庄左ヱ門は「馬鹿だな」と呟いて、身を乗り出すと、きり丸の顔に唇を押し付けた。目尻の辺りに落ちた口付けに、きり丸がくすぐったそうに目を細める。
「僕だってきり丸のことが好きだ」
そう告げると、きり丸が顔を上向けて庄左ヱ門の唇を掠めるように口付けた。ぐら、と体が揺れて慌ててしがみ付くと、今更ながら照れくさくなってきて、熱くなった頬をきり丸の首筋に押し付けた。
「なら、良かった」
ぽつりと呟いて、きり丸は庄左ヱ門の髪を撫でた。
 長屋の明かりが段々と近付いてくる。気配に気付いたのか、部屋の中から伊助が転げるように走り出してきたのを見て、庄左ヱ門は小さく笑って手を振った。
作品名:夜空 作家名:aocrot