きみがすき
海岸に添って緩やかなカーブを描く国道を逸れ、海へと続く道に曲がる。砂浜に下りる階段を通り過ぎて、きり丸のいる波止場へ向かった。傾きかけた太陽がきり丸の影を長く伸ばし、僕の足元まで運んでくる。まだそんなに近くまで寄らない内にきり丸が振り向いた。
足音など打ち寄せる波の音に掻き消されて聞こえなかっただろうに、きり丸は妙に勘の良いところがある。
「よお、学級委員長」
からかうようにそう言ったのは、僕が新しい学年でも学級委員長になったからだろう。まぁ、中学校の時からずっと学級委員長をやっているので、きり丸が僕を呼ぶ時そう呼ぶのは大して珍しいことではないけれど。
きり丸は波止場の縁ぎりぎりの場所へ胡坐をかいて座っていた。波の高い日にはびしょ濡れになってしまう場所だ。今日は比較的海が穏やかなので波止場はどこも安全なようだった。左右に広がった両翼には釣り人の姿も見える。いつも思うのだが何が釣れるのだろう、と見ていると、きり丸が「座れよ、庄左ヱ門」と自分の隣に僕を手招いた。波止場の縁から少し離れて座った僕を、きり丸は笑う。
「相変わらず怖いのか、庄左ヱ門」
「別に」
小学生二年生の頃、僕はこの波止場から転落したことがある。上手い具合にテトラポットに引っ掛かって事なきを得たが、大人たちが助けに来る間、テトラポットにしがみ付きながら波を浴び続けた。全身ズブ濡れになりながらどうにか救出された僕を一番に抱き締めてくれたのは、一緒に遊んでいたきり丸だった。きり丸はその事件の少し前に両親を交通事故で亡くしている。
庄ちゃんまでいなくなっちゃうかと思った。
そう言って、泣いた。両親のお葬式でさえ涙を見せなかったのに。
僕達は散々大人に叱られた後、手を繋いで帰った。
「…あの時、テトラポットの間に転落してたら浮かんでこれなかっただろうな」
波が寄せるテトラポットを見つめ、ぽつりときり丸が呟いた。
「僕を怖がらせたいなら無駄だぞ、きり丸」
体育座りをして抱えた膝に顎を乗せ、僕は言った。違う違う、ときり丸が僕を振り返る。
「俺の親さ、ぺちゃんこになった車の中で見つかっただろ。子供には見せられる状態じゃなかったんだと。だから俺は父親にも母親にも会えなかった。死んだって言われても実感なんかわかなくてさ…親の葬式してるんだって思えなかった」
「………」
「だからさ…あの時庄左ヱ門が無事に戻ってきてくれて本当に良かったって思ったんだ」
近くにあったコンクリートの欠片を拾って海に投げたきり丸が、その行方を追いかけることなくごろりと仰向けに寝転んだ。
「なぁ」
差し出された手が、僕のスニーカーの爪先にこつりと乗った。
僕の手とは違う、あまり日焼けをしない白い綺麗な指先。きり丸は綺麗だ。たまに消えてなくなってしまうんじゃないかと思うくらいに。
「…なんだよ」
そんなことを思った自分が恥ずかしくて素っ気無く返事をすると、きり丸が薄い唇の端を上げて笑った。
「俺を置いてどこにも行ってしまうなよ」
そう言ったきり丸の手を、僕はぎゅっと掴んだ。
どこかへ行ってしまいそうなのは、僕じゃなくてきり丸の方だ。
だから…僕はいつもきり丸を見つけるとこうして、自分の手の届く場所まで近寄らずにはいられないのだ。
「こうやってずっと傍にいろよ、庄ちゃん」
僕の手を握り返して、きり丸が言った。
指を絡めて、風が吹いても波に揉まれても決して離れないように。
「…好きだよ」
僕がぽつりとそう告げると、きり丸は「うん」と頷いて目を細めた。切れ長で涼しげな黒い瞳が、柔らかく垂れ下がるのを見て僕は笑った。