慰めの
静かだ。秋の日は穏やかで優しい。
土方は壁に寄りかかるようにして凭れ、咥えていた煙草に火を点けた。すぐに口の中へ苦味が広がっていく。それを喉深くまで吸い込んで呑み込むと、薄い唇から紫煙を吐き出した。煙は天井に向かい不恰好な楕円を描きながら昇る。それが空気中に散乱し消えていこうとした時、部屋の襖が何の前触れもなく開いた。
無断で土方の部屋を開けるのは近藤か沖田しかいない。土方は溜息をつき、顔をそちらへと傾けた。
「…なんだよ、近藤さん」
たまには一人になりたい時もある。そんな気持ちをこの男は汲んでくれない。だが追い返すことも出来ず、そう問い掛けた。近藤は土方が少し不機嫌な声を出したので部屋の畳を踏む前で足を止め、「忙しいか」と訊いた。
「別に」
見りゃ分るだろう、と言ってやる。窓の傍でぼけっとしている自分のどこが忙しくしているように見えるのだ。
「…そんなとこに突っ立ってないで入れよ」
少し冷たくしすぎたのか近藤が情けない顔をするので、土方は仕方なく近藤を部屋に招き入れ、まだ吸い始めたばかりの煙草を灰皿へと押し潰した。
久しぶりの休日だ。近藤は朝から秋に新調した大島紬を着て上機嫌に出掛けて行ったはずだった。 いつ帰ってきたのだろう。
近藤は土方の前に胡座をかいて座り太い腕を組んで黙っている。近藤がそうしているものだから、土方も口を噤んだまま、また窓の外へと視線をやった。
道場で誰かが剣を振るい始めたのか遠く打ち合う音が響き始めると、近藤が沈黙に耐えられなくなったように「…トシよぉ」と声を上げた。
「なんで何も訊かねぇんだ」
そんなことを言うので
「訊いて欲しいのか」
と問い返すと、近藤は言葉に詰ったように唇を中途半端に開いたまま、眉を落とした。
近藤がこんな顔をして土方の部屋を訪れる理由などひとつしかない。
「どうせまた女に振られたんだろう」
言葉にすると、微かな苛立ちに襲われ土方は冷たく言い放った。
近藤が誰某に惚れた振られたという話は年中聞いてやっている。あんなに綺麗で心根の優しい娘はいないと鬱陶しいくらい夢中になるが、その恋も長くは続かず玉砕して土方の元へ帰ってくる。
土方にはそれが愛しくもあり、苛立たしくもあった。
「…どうせまたって言い方はねぇだろう」
拗ねた様子で近藤が言う。土方はその顔をちらりと見やり、「違うのか」と言った。近藤は一息飲んで、それから「トシは意地が悪いな」と呟いた。
土方はその言葉を聞き、小さく笑う。そんなことを言う近藤の方が意地が悪いと思ったが何も言わず黙っていると、近藤の大きな手が土方の髪に触れた。
「トシ」
額にかかった前髪を太い指が退けた時には、近藤の唇が頬に触れていた。少しかさついた暖かな感触が頬骨に押し付けられ、やがて許しを請うように土方の唇の端を柔らかく食んだ。
これでは自分の方が宥め、慰められているようではないか。
「トシ、怒ったのか」
困ったように言う唇が何度も肌に触れる。土方が一言怒っているといえば、きっと近藤は何の躊躇いもなく頭を下げ謝るだろう。
近藤には土方にない素直さがある。人の意見を汲む柔軟さと、自分の非を認めることのできる広い視野がある。
だから、いつまでたっても自分はこの男にだけは勝てないと思うのだ。
「…怒ってねぇよ」
溜息混じりに土方は言って、顔を傾け近藤の鼻先へと唇を付けた。その天辺に軽く歯を立て噛むと、近藤が微かな痛みに眉を寄せた。その情けない顔を笑ってやる。
「全く仕方ねぇなぁ、近藤さんは…」
手を伸ばし、近藤の肩を抱いた。
「アンタの魅力に気付かない女なんか、どうせ仕様もない奴に決まってるさ。振られて良かったじゃねぇか。さっさと忘れちまえ」
太い腕が土方の背を抱き返してくるこの瞬間が、今までの苛立ちも何もかもを消してくれる。ただそれだけのことで、この男の全てを許してしまえる。
「俺が慰めてやろう」
囁いて、口付けた。お互いの唇を舐めるように交された口付けは次第に深くなり、近藤を抱えたまま畳の上へと身体を横たえる。回転する視界に、丸窓から覗く空に浮かぶ西日が入り込み、そのあまりの眩しさに土方はきつく目を閉じた。
「俺はアンタが好きだよ、近藤さん…」