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宵待つ君

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七月の暑い日だった。昼間の気温は三十度を軽く越え、夕暮れを迎えても汗がじわりと肌に浮かんでくるような暑さが残っていた。
 外での仕事を終え風呂場で汗を流すと、土方は山崎から上がってきた報告書を手に近藤の部屋に向かった。
「近藤さん」
声を掛け、襖を二度叩いたが返事が無い。
 そういえば昼飯を一緒に摂ってから顔を見ていないような気がする。随分と疲れた顔をして「暑いなぁ」と繰り返していたか…。
 具合でも悪くして倒れてるとか。まさかな。
「近藤さん、入るぜ」
大きな声で断りを入れ、襖をガラリと開いた。途端、ひんやりとした冷気が部屋から湧き出すようにして土方の肌に纏わりついた。眉を寄せ、室内温度の設定を見てみれば十八度になっている。取り付けられた空調機からは絶え間無く冷たい空気が吐き出され、土方の濡れたままの髪を容赦なく弄った。
 近藤は、と室内を探せば、まだ夕方だというのに敷かれた布団に入り込み掛け布団を身体に巻きつけて寝ていた。
「何やってんだよ、近藤さん」
声を掛ければ布団がぴくりと震え、「なんだか頭が痛くてよぉ」と弱々しい声がした。
「当たり前だろ、こんなとこいたんじゃ。クーラー病だ」
全くアンタは加減てもんを知らねぇ、と文句を言い、土方は空調機の電源を切った。部屋を横切り庭に面した窓を全開にする。
 冷たい空気が室外に逃げていく代わりに、生暖かい外気が入り込んでくる。多少暑苦しいが、クーラーの冷気よりは余程気持ちの良い風だった。
 冷えた頬を外の風に当てていると、近藤が「折角冷えてるのに」と非難がましい声を上げた。
「うるせぇ。自然の風に当たれ」
振り返り、いささか乱暴な仕草で近藤を布団から蹴り出す。痛みに尻を押えながら布団を這い出してくると、近藤は畳の上に丸くなった。
「だらしねぇな」
「具合悪いんだよ」
「だから、クーラーに当たり過ぎなんだよ」
近藤の傍にしゃがみ、茶でも持ってこようか?と訊いたが、いらないと首を振られる。余程頭が痛むのか珍しく眉間に皺が寄っているのを見つけ、土方は溜息をついた。
 この状態では仕事の話など出来ないだろう。
 報告書を机の上に置こうと手を伸ばしたとき、そこに団扇が乗っているのが見えた。水色の波紋の中、金魚が二匹泳いでいる、涼しげな団扇だった。
「…ああ、それは土産だ」
土方が団扇を手に取ると、近藤が顔を上げ言った。
「午前中入谷に行ったから。お前に。昼飯の時渡すの忘れてた」
なんでもないことのように言った近藤の顔をじっと見つめた。
 たまに、思いも掛けず、こんなふうに特別扱いをされると、どうも弱い。
 土方は照れ隠しにひとつ溜息をついてから、近藤の頭の方へ行き座った。
「近藤さん」
声を掛け、近藤の頭を上げさせると自分の腿に押しつける。不思議そうな顔をされ、この気恥ずかしい気持ちを説明するのも面倒臭く、近藤が何か言うよりも先にその唇を素早く塞いだ。
「…扇いでてやるから」
一方的に始めた口付けをやめ、そう言った土方に、近藤は少し笑って目を閉じた。
 ゆらゆらと団扇を揺らし、うっすらと汗の浮かんだその額に風を送ってやる。
「入谷って、朝顔市か」
そういえば今日は七夕だったか、と思い出し訊いた。
 毎年この時期になると入谷で開かれる朝顔市は朝から人が大勢集まるので、真選組からも何人か出し警備につくことになっていた。
 去年は一緒に行って青い朝顔の鉢をひとつ買った。
「…朝顔が良かったか?」
不意に伸びてきた近藤の手が土方の頬に触れた。土方は首を振り、近藤の手を取るとそれに指を絡ませて握った。近藤の手の平はひどく熱かった。
「団扇の方が役に立つ」
「まぁ、そうだ」
近藤は土方の言葉に頷いた。言葉が途中で欠伸に取って変わるのを見て、土方は笑った。
「…具合はどうだ、近藤さん」
「うん、だいぶ良い」
「そうか。良かったな」
そう言って土方は団扇を持つ手を大きく振った。
「…トシが優しいと怖いな、なんか」
近藤が笑って言い、瞼を閉じた。土方は呆れ、「何言ってんだ」と返すと、解いた手で近藤の硬い髪を撫でた。
 疲れているのだろうか。連日の暑さもあるし、近藤が最近よく寝れていないのも知っていた。
 自分の傍にいる時くらい、休ませてやりたい。
 鬱陶しい西日はだいぶ落ちているし、そろそろ空も宵闇に包まれる頃だ。そうしたら少しは涼しくなるだろう。
「少し寝ろよ、近藤さん。天の川が見えたら起こしてやるから…」
作品名:宵待つ君 作家名:aocrot