煙草
「近藤様」
襖の向こうからひとつ声がし、ゆっくりと戸が引かれると着飾った女が顔を出した。女は綺麗な顔をしていた。朱に白い芍薬が染め抜かれた艶やかな着物が良く似合っている。
緩々と手をつき「お酒の御用意をさせて頂きます」と言うと、女は漆の膳を持ち部屋に入ってきた。硝子作りの銚子の中で透明の酒が揺れる。
「…頼んだ覚えは無いんですが」
大きく開いた襟ぐりから覗く白い項を見ながら近藤が言うと、女は戸惑ったように顔を上げた。
「土方様よりお相手をするようにと…」
女の口から出た言葉に、近藤は口を噤んだ。
土方とは、今朝下らないことで口喧嘩をしていた。何が原因だったのかよく覚えていないほど、些細なことだったと思う。
昼にはもう普通にしていたので、怒ってないのだな、と勝手に解釈していた。
「…それで。土方は」
「先程お出かけになられました」
女は言いながら猪口に酒を注いだ。
土方らしい仕返しの仕方ではある。二人で過ごそうと思い出かけた先で女を宛がうとは…意地が悪いじゃないか。
日本酒独特の匂いが鼻を擽ったが、近藤はそれに手を付けず、女の手を引いた。
膳が倒れ、酒が零れる。女は「あっ」とか細い声を上げたが、近藤の行動を予測していたかのような柔らかな動きで身体を横たえる。近藤はいささか乱暴に女の着物の袷を解き、露わになった小振りの乳房を掴んだ。
明け方の道は小雨が降っていた。傘をさすほどではないが、歩いているうちに肌がじっとりと濡れた。
川沿いにある茶屋はまだ店開きをしていない。だがその軒先に黒い着物姿を見つけ、近藤は足を早めた。
「トシ」
呼ぶと、土方は俯かせていた顔を上げた。咥えていた煙草から漂う煙が、その動きに釣られひどく乱れた。近藤の姿を見ても土方は顔色ひとつ変えず、それどころか「どうだった」と冷たい声を上げた。
「近藤さんのために一番顔の良い女を選んだんだ。好きだろう、ああいうのは」
ああでも胸は小さかったなと言い、煙草を捨てる。その手を近藤は掴んだ。
女の手とは違う、固く骨ばっっているが近藤の手では容易く掴めてしまうほど細い。その手の甲に青く浮きあがった血管を見ると、なんだか噛みつきたくなった。
「随分意地の悪いことをするじゃねぇか」
「俺は元々そういう性格だよ」
「昨日のことをまだ怒ってんのか。俺が悪かったって謝れば良いのか」
問い掛けに答える声は無く、ただ土方の手が上がり近藤の唇に触れた。唇の端を撫でるようにした指先に赤い紅が乗っている。近藤はその手も掴み拘束した。唇を近付けると抗うように顔を背けた土方に、無理矢理口付ける。歯を食いしばる間も与えず、口腔に舌を挿し入れると苦い煙草の味がした。
「…何だよ、近藤さん」
唇が解放されると、途端に土方が不機嫌そうな声を上げた。
どこで夜が明けるのを待っていたのか。他の誰かの所か。それとも一人でいたのか。
近藤は土方の手を持ち上げ、その白い甲を食んだ。指先からも、煙草の匂いがしていた。
「…してねぇよ」
「なに」
「抱いてない。女は」
近藤はそう言って、土方の背中に手を回し抱き寄せた。
「口付けたら煙草の匂いがしなかった」
勃たなかったんだと告げ、土方の唇に掠めるように口付けた。土方は少しだけ黙り、それから近藤の背中を抱いて小さく溜息をついた。
呆れたような、安心したような、そんな音がした。
「仕方ねぇな、近藤さんは…」