君を恋ひ
部屋の壁は月明かりを映して紺色に染まり、夏の名残の簾が半分巻き上げられたまま、ゆっくりと揺れている。
つい最近まで日差しが暑かったから、そのままにしておいたのだ。そろそろ障子の張替えをして、簾は外さなければ。
ああ、それにしても眠い。
喉の奥から湧き上がってくる吐息を吐き出すように、欠伸をする。
寝る前までは確かに腕の中にあった温もりはどこへ行ってしまったのか。布団を探るが、ただ冷たくなった布がさらりと指先を撫でた。
何も掴むことのなかった手の平をじっと見つめる。
抱き合った後、土方が朝まで傍らにいることは滅多に無い。近藤が絡めた指をいとも簡単に解いて、置いていく。
目が覚めるといつも一人だ。
土方は朝になれば抱き合ったことなど忘れてしまったような顔をして、近藤を見る。それがいつも、近藤を堪らない気分にさせた。
溜息を吐き、土方の髪の感触の残る手の平で冷えた頬を撫でた。
風が冷たい。戸を閉めようかと布団から起き上がり着物を羽織る。手繰り寄せた帯を適当に腰に巻きつけて結び、風に揺れる簾を持ち上げると、回廊に土方が座っているのが見えた。近藤の気配に気付いているだろうに、前を向いたまま振り向こうとしない背中に「トシ」と呼びかける。土方は乱れたままの髪を指先で掻き混ぜると「なんだ、起きたのかよ」と少し面倒くさそうな声で言った。
無造作に羽織ったのだろう。着物の襟が大きく開き、なだらかな首から右肩に続く白い肌が覗いていた。夏の間でさえあまり日に焼けることのない肌は、夜空の下で見ると一層白さが際立って見えた。
噛み付きたくなるような項を見つめ、背後に突っ立ったままでいると、土方はやっと半身だけ振り向いて近藤を見上げた。
「…どうしたんだ。怖い夢でも見たか」
薄い唇の端を少し上げて、笑う。
わざとからかうような声を出して。
そんなんじゃないと言って、近藤がこの場から離れていくのを待っているのだろう。
土方が一人になりたがっているのは分かった。
だが、分からない振りをした。
「そうだと言ったら、朝まで一緒にいてくれるのか」
笑いながら言おうとして、失敗した。責めるような声が出て、思わず唇を噤んだ近藤の顔を、土方が見つめてくる。涼しげな双眸が、近藤の表情の綻びを探すように頬の辺りを見た。
「…トシ」
名前を呼んで、手を差し出す。土方は視線を落として近藤の手の平をじっと見つめると、暫くして「ああ」と溜息のような声を上げ近藤の手を掴んだ。土方の着物が板張りの床を擦る微かな衣擦れの音が、しんとした夜の空気の中へと響いた。ゆっくりと立ち上がった土方の冷たい唇が、近藤の唇を掠めていく。
「なぁ、朝が来る度に自己嫌悪で死にたくなるなんて、アンタには分からねぇんだろうな…」
そう言って土方は小さく溜息を吐いた。
繋いだ手の指を絡めても、それでは足りない気がして、夜風に吹かれてすっかり冷たくなった土方の体を抱き寄せる。
「分かるぞ。俺は朝になってトシがいないと死にたくなるからな」
ひんやりとした耳朶を噛んで囁いた近藤の、その言葉を聞いて土方が声を立てずに笑った。何か言い返されるかと思ったが、土方は黙ったまま近藤の背中を抱いた。縋りつくように立てられた爪先の強さが、ひどく愛しかった。