風邪を引く
「トシ、入るぞ」
襖の向こうにひとつ声を掛けて、近藤は土方の部屋の襖を静かに引いた。
しんと冷えた部屋の中央に布団が敷かれ、土方が横たわっているのが見えた。足を忍ばせ近寄っていくと、眠っている。
部下達に目付きが悪いと評される黒い瞳は、今は薄い瞼の下に仕舞われている。
副長って目を閉じると結構優しい顔になるんですよね。
そんなことを言ったのは山崎だったか…。ふと思い出して、近藤は土方の顔をじっと見つめた。
つい二日前、この秋一番の冷え込みと言われていた夜に、土方は自ら監察に出向いていった。夜中の張り込みは、滅多に病気をしない土方に風邪を引かせた。朝方帰ってくるなり少し具合が悪いからと自室に閉じこもり、近藤が昼の仕事を終え夕方に様子を伺いに行った時には高熱を出して寝込んでいた。
移るから来てくれるな、と土方は迷惑そうに言ったが、近藤は時間が出来ると土方の部屋へ顔を出した。何度かは起きていて、来るなと言ってるのにと怖い顔で近藤を叱り、何度かはこんこんと寝ていて目を覚まさなかった。
部屋が冷え過ぎている。
近藤はマッチを擦ってストーブに火を入れた。その上に乗せられた薬缶にまだ水があるのを確認してから、土方の布団の脇へと胡座をかいて座る。
枕元に半分以上残った卵粥と、水が置いてあった。薬は飲んだらしく、包み紙が盆の上に散乱している。
熱は下がっただろうか…。
近藤は土方の額へ手を伸ばした。こんなに部屋が冷えていたのに、土方の肌には汗が浮かび、近藤の手の平を湿らせる。懐から取り出した手拭で土方の汗を拭いてやっていると、微かに色付いた瞼がひくりと震え、ゆっくりと開いた。薄く涙を刷いた黒い瞳が近藤を見上げる。
「…なんだ、近藤さん。また来たのか」
呆れたようにそう呟いた声は、ひどく掠れている。
「具合はどうだ」
「ああ、昨日よりは良い。熱もだいぶ下がったし、薬が効いてるんだろう」
長く話すとしんどいのか、土方はふと溜息をついた。熱を持ったような吐息が、土方の頬を撫でた近藤の手にかかる。土方はじっと近藤を見つめると、「なんだか、アンタの方が具合の悪そうな顔をしてる」と小さく笑った。それからまた目を閉じてしまう。心配になって髪を撫でると、「すまねぇ」と謝られた。
「これじゃ隊士に示しがつかねぇな…」
「…原田が鬼の霍乱だって笑ってたぞ」
「馬鹿。霍乱ってのは、暑気当たりのことを言うんだ」
「そうなのか。知らなかった」
近藤が感心すると、土方は呆れたように笑った。
少し疲れてきた、と土方が呟いた。うん、と近藤が頷いて黙ると部屋が静かになる。やがて薬缶がシュンシュンと音を立て湯気を上げ始めた。
立ち上がって薬缶を取り、中の湯を湯たんぽに注ぐ。しばらく冷ましてから布で包んで布団の足元へ入れた。差し入れた手が土方の冷たい爪先に触れ、近藤はそれが自分の手と同じ熱さになるまで、揉んで温めた。 土方が辛い時に、こんなことしか出来ない自分を不甲斐無く感じる。
「いつも無理させてすまねぇな、トシ」
息を吐く暇もなく忙しい時でも、土方が何でも無いような顔をして「大丈夫だ」と言うので、それにすっかり甘えていた。熱を出したのも、最近の無理がたたってのことだろう。
白い足を撫で擦りながら、項垂れていると、「近藤さん」と名前を呼ばれた。
「こっちに来てくれ」
手招きをされて、枕元に戻ると、土方が顔を横に倒して近藤に手を差し伸べてきた。思わず受け止めて握り締めた手は、足とは違いひどく熱かった。
「…アンタはひどく落ち込んでいるようだが、俺が今何を考えてるか教えてやろうか」
土方はそんなことを言って、おかしそうに目を細めた。繋いだままの近藤の手を引き寄せ、頬を摺り寄せる。まるで猫のような仕草に、人差し指の節で目尻を撫でてやると、土方は気持ち良さそうに目を閉じた。
「たまにこうして弱ると、近藤さんを一人占め出来る」
馬鹿馬鹿しいけどそれが結構嬉しいもんだ、と土方は掠れた声で言った。
「トシ」
「もうしばらく傍にいてくれよ、近藤さん」
子供のようにそう言って、土方は近藤の手をぎゅっと握った。近藤は土方の傍に身体を横たえると、腕枕に頬をつけて土方の秀麗な顔を見つめた。
「寝るまで傍にいるから…」
そう言って手を握り返すと、土方は唇を綻ばせて笑い、目を閉じた。熱の所為で仄かに赤く染まった土方の頬が綺麗で、近藤は土方が起きたらそこに口付けようと思った。
きっと土方は「風邪が移る」と言って怒るだろう。それを想像して、少し笑う。そんな近藤の横で土方はもう寝てしまったようで、静かな寝息が聞こえていた。