白菊の花、者想う指先
まだ外は暗いな、と薄い硝子越しの庭を見ると、縁側に土方が座っているのが見えた。何をしているのか、俯かせた顔の表情までは見えず、妙に不安になる。思わず硝子戸に手をつくと、ガタリと鳴った微かな音に土方の肩が揺れた。肩越しに振り返った土方と視線が合い、どうも気まずくなって、それを隠すためにわざと大きな音を立て戸を引いた。
「どうした、トシ。眠れないのか」
問いかけに土方は曖昧に首を振って、また顔を逸らしていった。
声を立てず、いつものように座れよと促されもせず、しばし立ち竦む。何も言ってくれない背中に拒絶されているような気もして部屋に戻ろうかと思うが、爪先が迷った。黙ったまま土方の背中を見つめていると、不意に土方が小さく声を立て笑ったような気がした。
「…座れよ、近藤さん」
仕方ないように言われ、素直に座ることも、立ち去ることも出来なくなった。土方はそんな近藤を振り返り「座れよ」ともう一度繰り返し言った。後ろ手に硝子戸を閉め、土方の隣に腰を下ろす。
庭に咲いたばかりの白菊が、空が明けるのを待つ薄闇にぼうと浮かび上がる。その姿は綺麗だが、どうも気味が悪い。
土方はずっとそれを眺めていたようだった。
「トシ、何かあったのか」
心配になりそう訊いた。土方は唇の端を上げふと笑うと、顔を隠すように腕を上げ首の後ろを掻いた。
「幼馴染が昨日の朝死んだって、聞いてな」
近藤の視線から顔を隠したまま、ぽつりと呟く。
「妙な気分だよ。もう二十年近く会ってねぇのに、死んだって聞いた途端夢に出てきた。夢の中で俺のことを呼びやがる」
どうも眠れねぇ、と最後は唸るような声になった。
風が吹き、白菊が揺れる。まるで手招きをしているように前に傾ぎ、ゆらゆらゆらと首を振る。
近藤は手を伸ばし、土方の手を掴んだ。驚いたように土方が顔を上げる。いつもならば垣間見せもしない頼りなげな表情に、自分の方が驚いたのだと思う。気づけば土方の肩を抱き寄せていた。
「近藤さん」
戸惑ったような声が名前を呼び、冷たい手が近藤の背中を抱いた。
「どうしたんだよ、急に」
「…昨日は友引だったからな。お前が引かれていっちまうと困る」
言うと、笑われた。だが土方は笑うだけで何も言わずに近藤の背中をそっと撫でただけだった。ひやりとした頬が襟元に押しつけられる。ずっと外にいた所為か、土方の身体はどこも冷えきっていた。
その冷たさに、半分冗談で言った自分の言葉が急に怖くなり、半ば強引に土方の身体を抱き上げるようにして立たせる。このままここにいたら、本当に土方を連れていかれてしまうような気がした。
「そろそろ戻ろうぜ。風邪引いちまう」
土方の手をぎゅっと握り、硝子戸の内側へと引き寄せた。土方は素直に近藤の後を追ってくる。裸足の足音がしんとした廊下にひたひたと響いた。
自分の部屋で寝る、と言う土方を口付けで黙らせ布団に引き摺り込む。すっかり冷えてしまった布団は温かくなるまでに少し時間がかかりそうだったので、近藤は土方の冷たい爪先を自分の足で挟んだ。
長く穏やかな口付けが終ると、近藤は握ったままでいた土方の手を自分達の顔の間まで持ち上げた。絡んだ指が枕に浅く沈む。
「夢見ても平気なように、手、握っててやるよ」
もう片方の手も腹の間で見つけ握り締めた。土方は微かに溜息をついた後、「そりゃ心強いよ」と言って呆れたように笑った。
「少し寝にくいけどな…」
目覚めてから近藤は山崎を呼び、庭の白菊を切らせた。こんなに綺麗に咲いてるのにもったいないと文句を言うので、じゃあお前の部屋に飾っておけと言っていると、土方が廊下を通りかかった。土方は近藤の隣に立ち、花を落としていく白菊を眺めていたが、何も言わなかった。
「トシ、俺を置いていくなよ」
空を見上げ言うと、笑われた。
「馬鹿言うなよ。俺がアンタを置いてどこに行けるっていうんだ」
そんな心配なこと出来るわけないだろう、そう言って青空に向かい咥え煙草の煙を吐き出す土方の顔は、どこか晴れ晴れしたような表情を浮かべていた。
「ずっと側にいてやるよ」
作品名:白菊の花、者想う指先 作家名:aocrot