片思い
一緒に呑もうと約束をしたことなど、近藤はきっと覚えていない。
枕元で夢現にした約束を律儀に守って、いつ帰ってくるかも分からない男を待っている自分は、余程間の抜けた人間だろう。
まるで女じゃねぇか。
ちっと舌打ちをして、煙草を灰皿に押しつける。既に吸殻でいっぱいになったそこから、灰が溢れ、吹き込んだ風に攫われて部屋中に散っていく。
今頃、近藤はどこかの女と一緒にいるに違いない。
昨夜土方を抱いていた腕で、他の人間に触れている。土方に「好きだ」と囁いた唇で、口付けているに違いない。
「……馬鹿馬鹿しい」
吐き捨てて、酒を開けた。猪口に勢い良く注ぐと、畳に散った飛沫から濃厚な酒の匂いが漂う。ぐい、と一杯飲み干し、土方はまた猪口に酒を注いだ。
近藤がにやけた顔を晒して女のところへ通うことなど、今に始まったことではない。
そうだ。どうせ、またいつもと同じ、すぐに振られて帰ってくるさ。
やっぱり俺にはトシしかいないと、土方の弱みにつけ込むような言葉を平気で吐いて、平気な顔をして土方を抱くだろう。
「………」
酔っ払ってきたのか、薄暗い部屋にぼんやりと浮かんだ近藤の幻に、猪口を投げつける。酒を振り撒きながら、猪口は壁に当たって割れ、四方八方に飛び散った。
近藤の姿は消え、喉の奥から笑いが込み上げてくる。
回廊を通りかかった沖田が「とうとう頭がおかしくなっちまったんですかい」と失礼なことを言って、そらぞらしく笑った。
「うるせぇ」と言いながら、沖田を追い払うように回廊に這いずり出して座った。「怖い怖い」と沖田が去ってしまうと、誰もいない庭はしんと静まり返る。真ん丸の白い月が、夜空にぽかりと穴を開けたように浮かんでいた。
近藤が女のところへ行くのはいつものことだが、自分との約束を違えたのは、そういえば今回が初めてのことだな、と思った。
やがて、ドタドタと足音が響いてくると、土方の部屋の戸が勢い良く開いた。
「トシ、すまん」
入ってくるなり、近藤は酒の匂いに驚いたように鼻を啜った。部屋に飛び散った猪口の破片を避けるように、蛇行しつつ土方に近寄ってくる。酒の匂いに混じりふわりと香った女の匂いに、土方はふいと近藤に背中を向けた。
「早かったじゃねぇか」
「トシ、お前との約束を忘れてたわけじゃねぇんだ。ただ、とっつぁんがなかなか帰してくれなくてよ」
わかるだろう俺の立場じゃとっつぁんより先に帰ることも出来ねぇし…と近藤は言い訳を続ける。
どうせ喜んでついて行ったんだろう、とか、じゃあどうして連絡のひとつも寄越さなかったのか、とか、口を開けば女々しく責めるような言葉が出てきてしまいそうで、黙る。
言い訳が尽きたかのように、二度、三度声も無く唇を動かした後、近藤が背中から土方を抱いた。腹に回った腕が力強く土方の身体を引き寄せる。
「トシよぉ、どうしたら許してくれる…?」
こつんと肩に近藤の頭が乗った。
まさかこんなに怒るとは思わなかったのだ、と素直に近藤が告げる。
土方は唇を噤んだまま、じっと白い月を睨んだ。
情けねぇな…。
近藤の顔を見たら、泣いてしまいそうだ。だから振り返れなかった。
「トシ、何か言ってくれよ」
お前に嫌われたら俺はもう、と途方に暮れたような声が言う。
ああ、これだ。
土方は立てた膝に顔を伏せた。
これだから、いつもほだされてしまう。俺がいなきゃこの人は…なんて傲慢な、そんな気持ちを持ってしまうのだ。
トシ、トシと名前を呼ばれる。
「好きだ」
肩越しにそう告げられて、土方は少し泣いた。
きっと自分は酔っ払っているに違いない。そうでなければ、約束を違えられたくらいで涙など出るわけがない。
「トシ、好きだ」
この涙は、こんなひどい人を、好きになった罰だろうか…。