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秋を待つ君へ

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蜩が鳴いている。九月も半ばを過ぎたというのに暑い日が続いていた。暑さも寒さも彼岸までと言うが少しも涼しくなる気配が無い。雨も降らず庭は日照り芙蓉の花も項垂れている。廊下に立ち止まり夕暮れの庭を見ていると、背中に滲んだ汗がじわりと肌を滑り落ちていく感触があり、土方は舌打ちをした。

途端、部屋に置いていた携帯電話の呼び出し音がけたたましく鳴り響き、大股に部屋に戻って文机の上から電話を取り上げた。液晶に写し出された近藤の名前を確認し、短く息を吐く。もしもしと電話口に出れば、おお元気かトシ、と無駄に大きな声が聞こえ思わず電話を耳から離した。

今朝会ったばかりだろうが、と言うと、そういえばそうだったと浮ついた声で言って、近藤が笑う。飲んでいるのだろうか。随分調子が良い。会津での会議の為、今朝早く近藤は屯所を出て行った。明日には桜田門での会議があるので、実質日帰りで、明日の朝には屯所へ戻る予定になっている。

何か変わりはあったか、と近藤が言った。特別変わったことはねぇな…この暑さで何人か腹を下したくらいだ。そう応えた土方に、電話の向こうで笑う声がする。会津はもう秋だぞトシ、と嬉しそうに言うので、そりゃ羨ましいなと言ってやりながら、煙草を咥え火を点ける。

電話越し、遠く近藤の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。近藤がその声の主に対応しているのを聞きながら、喉の奥へ吸い込んだ煙を尖らせた唇から天井へ向け吐き出す。細く昇らせた煙は宙に広がって消えていく。二口吸ったところで、近藤が電話口に戻ってきた。

すまん、席に戻らなければなんねぇみたいだ。とっつぁんの隣でな、絡まれてよぉ…。参った、とまるで遊びに飽きた子供のような声を出すので、思わず笑ってしまう。それは気の毒だったな、と言うと、他人事だと思って、と恨み言が返ってきた。もう一口、煙草を吸った。近藤は黙っている。

しんと静かになった耳元で、ザァと風の吹く音が聞こえた。きっと電話の向こうでは秋の風が吹いているのだろうと土方は思った。煙草を灰皿に押し潰して消す。切るぞ、と近藤に声をかけた。うん、と短い返事があったので、飲み過ぎるなよと言って電話を切った。

文机に電話を置いて、ゆっくりと首筋を伝い落ちていく汗を手の平で押さえる。東北はもう秋か…。夏は嫌いではないが、こうも長引くとさすがに秋が恋しくなる。そんなことを思いながら顔を傾け、生温い風に目を閉じる。汗がまた浮かんできて、土方は溜息を吐いた。

夜になっても気温はあまり下がらず寝苦しかった。扇風機を回し戸を開け放ってみたがなかなか寝付けず、いっそ近藤の帰りを待っていようかと思っている内に寝てしまったようだ。夜明け前、近藤が戻ってきたのだろう。廊下をそっと歩く足音が聞こえ目が覚めたが、目を開けるのも億劫で寝た振りをした。

足音は一度、近藤の部屋へと入っていったが、思い出したようにまた出てきて土方の部屋の前へ止まった。起こされるかと思ったが部屋の前に立った気配はしばらくじっとしていたかと思うと、近藤の部屋へ戻っていった。扇風機の風がぐるりと巡ってくる。その風に、仄かに甘い匂いが混じっていた。

ああ、何の匂いだったか…思い出せない…。懐かしくて、それでいて鬱陶しいようなこの香りは。きっと近藤が何かを置いていったに違いない。近藤の部屋からは微かに足音が聞こえてくる。それが静かになり、近藤も眠ったのだろうと思いながら、土方もまた眠りについた。

明け方は少し涼しかった。目が覚めて、部屋に漂う甘い香りに、そういえばと思い出して香りを辿ってみれば、朝日の差す部屋の入り口に一房の金木犀が置いてあった。ああ、そうだ。あれは金木犀の匂いだった。江戸にはまだ咲いていない。きっと近藤が東北から持ち帰ったのだろう。

手に取ってみれば、枝の部分になにやら手紙のようなものが結ばれていた。枝を折ってしまわないようそっと手紙を取る。細かに折られたそれを指先で解すようにして広げると、近藤の字で一行だけぽつりと文が書かれていた。秋を待つ君へ、と。近藤の顔に似合わない綺麗な文字をじっと見つめる。

近藤がどんな顔をしてそれを書いたのかと思うとおかしくなって、土方は唇の端を上げた。金木犀の花に顔を寄せる。近藤が起きてきたらどうしてやろうか、無理矢理押し倒して口付けのひとつでもしてやろうかと、そんなことを思って、土方は部屋を満たした秋の気配に目を細め笑った。
作品名:秋を待つ君へ 作家名:aocrot