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for your smile

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はたはたとカーテンが翻る音で目が覚めた。
 寝る前、確かに窓の鍵は確認したはずだ。
 重い瞼を押し上げ、天井に差し込む青白い月の光を見つめる。体を起こしベランダの方に視線をやると、開け放った窓の前に白いものが蹲っていた。すぐにその正体に思い当たり、音也のベッドを見ればそこにはやはり音也の姿は無い。
 初夏とはいえ、夜風はまだ肌に冷たい。
 トキヤは息を吐くと立ち上がり、背後からそっと音也に近付いた。その気配に気付いたのだろう。じっとしていた音也が不意にもぞりと動いてトキヤを振り向いた。頭からすっぽりと被っていたタオルケットが滑り落ち、音也の柔らかな髪が露わになる。
 ザァッと木々を揺らし部屋に吹吹き込んだ風がカーテンを大きく膨らませ、音也を包み隠した。トキヤは視界に揺れるそれを掴んで退け、自分を見上げている音也が大事そうに抱えていた木箱を覗き込んだ。
 適当な箱を選んで、音也が手作りした鳥籠には蓋の代わりに目の粗いネットが被さっている。箱の中にはタオルと、細かく刻んだ紙が敷かれ、その中に雀が一羽、蹲りじっとしている。雀の黒々とした小さな目が開いているのを見て、トキヤは音也の手から木箱を取り上げた。箱の中で、雀が小さな声を上げるのが聞こえ、音也が瞳を揺らした。
「…野生の動物は、人に触れられることがストレスになります。あなたがこうしてずっと見ていれば眠ることも出来ないでしょう」
伸びてきた音也の手が届かない場所まで箱を持ち上げ、トキヤは叱った。音也は空っぽになった手でぎゅっと膝を抱える。
「だって、全然動かないんだ。餌も食べないし…」
ぽつりとそう呟いて、音也は膝へ顔を埋めた。
 雀は、音也が夕方にどこからか拾って帰ってきたものだった。
 トキヤは、雀を拾って戻った音也を叱らなかった。
 折れた右翼の下に出来た裂傷。猫か烏にやられたのだろう。深く傷付いたそれが内臓へ達していることは明らかだった。
 これではもう長くはもたないだろう。そう思いながらトキヤは、鳥籠を作る音也の横で出来る限りの手当てをした。
 音也から取り上げた箱をテーブルの上に置き、薄い布を被せておく。窓を閉じると吹き込んでいた風が止み、カーテンがぺたりと窓に張り付くようにして落ちた。
 まだ蹲ったままでいる音也の腕を取ったトキヤに、音也が顔を上げた。
「朝になってさ、死んでたらどうしよう?」
そう訊かれ、音也の顔をじっと見つめる。
 生きていればいずれ命は尽きるものだし、それがこの雀の運命だったのだろう。
 そう言ってやるのは簡単だった。けれど、音也が求めているのはきっとそんな言葉ではない。正論でも、精神論でも、ましてや気休めの慰めでもない。
 どうしてやるのが正解なのか分からないまま、トキヤは音也の腕を引いて立たせた。すっかり冷たくなっていた手を握り、音也のベッドへと連れていく。音也は体にタオルケットを纏わりつかせたまま、大人しくトキヤに従った。
 ベッドに横たわっても、音也はなかなか目を閉じなかった。薄暗い部屋の中で音也の大きな目だけが妙に青白く見え、トキヤは音也の髪を撫でながら「眠れませんか」と訊いた。音也がこくりと頷く。
「…全く…子供のようですね、あなたは…」
トキヤはそう言って音也の隣に添うように横たわった。二人分の体重を受けて、ベッドが重そうな音を立て軋む。トキヤは音也の首の下へ腕を差し入れると、音也の頭を抱えるようにして引き寄せた。乱れた前髪を掻き分け、形の良い額へと唇を寄せる。そのまま手の平で音也の目を覆って、瞼を閉じさせた。音也の睫が震え指の腹を擽る感触と、薄い瞼の頼りない柔らかさ。皮膚の下で僅かに蠢いていた眼球が静かになると、音也が「…怖いよ」と言った。耳を澄ませていなければ聞こえないような、そんな小さな声だった。音也らしくない心細げなその声に、トキヤは静かに笑った。
「私が傍にいるのに、怖いですか…?」
その問いかけに、音也は答えなかった。
「…おやすみなさい、音也」
柔らかな頬へ口付け、音也の耳へ囁く。やがて音也の呼吸が穏やかで規則的なものへと変わるまで、トキヤは音也の背を優しく抱いていた。


朝を迎えると、箱の中の雀は死んでいた。トキヤがそれを教えると、音也は起き出してきて、箱の中から冷たく固まった死骸をそっと取り出した。
「不思議…。生きてた時よりずっと小さく見える。こんなに小さかったかな…?」
音也はぽつりと呟いて、涙を一粒零した。両手の平で雀を包み込んで、トキヤを振り向く。
「トキヤは知ってたんだよね。この子がもう生きられないってさ。…だから俺を叱らなかったんだよね」
そう言って、小さく笑う。
「…ええ、昨日、あなたが拾ってきた時にはもう分かっていました」
トキヤの態度から、音也も薄々感じ取ってはいただろう。だから、音也は雀が死ぬまで傍にいてやりたかったのだと、そう分かってはいたが、それを許してやれなかった。
 きっと、雀の死に立ち会えば音也は今以上にひどく悲しんで、泣くだろうと思ったからだ。
 辛そうに泣く音也の顔を見たくなかった。
「…私のことを怒っても良いんですよ」
クローゼットの引き出しからなるべく綺麗なハンカチを探し出して音也に渡してやる。ハンカチを受け取った音也が首を傾げた。
「どうして?…トキヤが俺のことを心配してくれてたの、ちゃんと分かってるよ」
広げたハンカチの中に丁寧に雀を寝かせて包みながら、音也が答える。
「池の傍に大きな桜の木があるだろ?そこに埋めてあげようと思うんだ。あそこなら花が咲く度に皆が来てくれるから寂しくないよ」
「ええ、それが良いでしょう」
春になる度、薄紅の花をつけるあの木の下は音也のお気に入りの場所でもある。
「ねえ、トキヤ」
「はい」
「ありがとう…」
濡れた目を細めて、音也が笑った。トキヤはその濡れた頬を手の平で包むようにして撫でると、音也に口付けた。
作品名:for your smile 作家名:aocrot