寂しさを知った日
心の中で何度も繰り返した言葉を、呪文のように唇から紡ぎ出す。
背中に迫るしんとした静けさが嫌で、コンポからヘッドフォンを引き抜いた。途端に溢れ出す音の洪水。トキヤがいれば無言で電源を切られただろう。いつもは反抗心も芽生えるその仕草が、今はただ恋しい。
ぴくりとも震えない携帯に浮き上がる時間は、前に見た時から五分も経っていなかった。音也はごろりとラグの上に寝転び、メールを一通打った。
早く帰ってきて。
子供のようなそれを、トキヤは何て思うだろう。呆れるだろうか。怒るだろうか。
トキヤの反応をぼんやりと思い浮かべたが、すぐにどうでも良くなった。
音楽は流れ続ける。部屋は音にまみれているのに、神経だけがはりつめて、片隅にある沈黙を探そうとする。
息苦しくて死んでしまいそうだ。
いつまで経っても携帯は震えない。もう一通。悪戯のような空メールを送る。
トキヤがいないだけで、こんなに部屋が広く感じる。こんなに静かで、こんなに寂しい。
「大丈夫、大丈夫。寂しくなんか、ない」
息が詰まって、胸が痛い。
真っ暗なままの携帯を見つめ、溜め息をひとつ、吐いた。
「大丈夫…じゃない…。寂しいよ」
溜息と共に、唇から転がり出た言葉。涙が零れた。
ああ、いつから自分はこんなに弱くなってしまったんだろう。嫌だ。
涙を拭いて、クッションに顔を埋める。
ぐずぐずと泣いていると、ガチャ、と玄関の鍵が開く音がした。扉を開け入ってきた静かな足音が音也の傍まで歩いてくる。ぷつりと音楽が止み、コンポの電源を切ったトキヤが「何をやっているんですか」と音也を見下ろして言った。
「トキヤの馬鹿」
すん、と鼻水を啜りながら言えば、トキヤは不愉快そうに眉を上げて見せた。
「何なんですか、一体。あんなメールを送ってきて。人が急いで帰ってきてみれば、藪から棒に」
トキヤは言いながら自分の机に鞄を置いて、手を洗いに行ってしまった。
クッションを抱えたまま、トキヤが帰ってくるのをじっと待つ。トキヤは濡れたタオルを持って洗面所を出てくると、いささか乱暴な仕草でそれを音也の顔に押し付けた。
「鼻をかまないように」
そう注意されて、音也はぐいぐいと頬を拭った。トキヤはそれを見て溜め息を吐くと座り込み、音也の髪に触れた。
「…それで?私が何故あなたに馬鹿と言われないといけないのか、説明していただきましょうか」
呆れたように言われ、音也は濡れたタオルをぎゅうっと握りしめた。
「だって、メールの返事をくれなかったじゃん。トキヤが帰ってこないから、俺、寂しくて死んじゃうかと思った。それに、何だよ、今日の歌番組。女子アナといちゃいちゃしてた。それに、それに…」
言いたいことはまだあったのに、唇に乗せられたトキヤの手の平に阻まれて、うなり声に変わる。
「もう黙りなさい」
トキヤはそう囁いて音也の唇を手の平から解放すると、音也が何か言葉を発するより先に口付け塞いだ。
「全く、子供のようですね、あなたは」
音也の体を覆うように抱き締めて、トキヤは言った。
「寂しかったんですか」
静かな声に訊かれ、頷くとふっと笑われる。その吐息が耳を擽り、ぶわっと体を震わせると、トキヤは体を起こして音也の頬に触れた。そのまま離れて行ってしまいそうな気配に、必死になってトキヤの手を握る。
「そばにいてよ」
「いますよ」
いとも簡単なことのようにトキヤが応えたので、音也は首を振った。
「そうじゃなくて、ずっとそばにいるって言ってよ」
言葉を重ねて訴える。トキヤはまた「いますよ」と応えた。
「…死ぬまで?」
「あなたが望むなら…」
「本当に?」
音也は子供のように確認した。トキヤは溜め息を吐いて音也の小指に、自分の小指を絡める。引っ張っても解けないその確かな感触に、音也はほっと息を吐いた。
「それじゃあ、ずっと死なないでそばにいて」
そう願った。
目尻に押し付けられる唇が、いつのまにか滲み出ていた涙の存在を教えてくれる。もっと確かな繋がりが欲しくて、音也は精一杯伸ばした腕でトキヤの体を抱き締めた。
寂しさを知った日は、君がぬくもりを教えてくれた日。
(20121120)