きみらしいきみ
トキヤはふと読んでいた雑誌から視線を外し、時計を見た。
午後四時を少し過ぎたところだ。少し前の音也ならば、今の時間はまだ外にいて、翔や他の仲間と遊んでいる時間だ。日が暮れてから泥だらけになって帰ってくるのがいつものパターンで、真っ直ぐに部屋に戻ってくるのはひどい雷や台風の日だけだった。
音也がギターを置いて、トキヤを振り向く。
「なに?」
にこりと笑ってそう問い掛けてきた音也に、「なにも」と返事をしてトキヤは雑誌のページを捲った。サラリと乾いた音が部屋に響く。音也はそれ以上そのことについて追求することはなく、黙って立ち上がりトキヤの傍へ来て隣へ座った。ベッドが小さく軋んで、揺れた。
声も無く、肩へ寄りかかってくる温もり。雑誌を押さえていたトキヤの手の平の下へ悪戯に手を差し込んで、指を絡めてきたので、手を握った。音也が小さく息を吐いた。
音也は何も言わないが、こうしてひどく傍にいたがるのは自分達が卒業を間近に控えているからだと、トキヤは知っていた。
卒業後はそれぞれに部屋を与えられ、一人暮らしをすることになる。
同じ部屋で暮らしていても、音也とは生活のリズムが大きく違っていた。これからまた仕事が増え、部屋も別々になれば顔を合わせゆっくりと話をする機会は減るだろう。
こうして二人だけで過ごす時間も。
だからきっと、音也はこの残り僅かな時を少しでも二人で過ごそうとしているのだ。
全く…らしくない…。
いつもは考えなしに全力で懐へ走りこんでくるくせに、今はそれがいけないとでも思っているかのように遠慮して、一言の言葉も告げない。
こうして部屋の中でじっとしているのが誰よりも苦手なくせに、平気な振りをして…。
トキヤはふと溜息を吐いた。
トキヤの肩にもたれていた音也が、顔を上げる。
「ごめん、重かった?」
そう言って逃げていこうとする音也の手を、絡めた指で引きとめる。
じっと顔を見つめてやると、音也は少し居心地が悪そうに顔を俯け上目遣いにトキヤを見た。
「…黙ってないで、何か言ってよ」
少し前まで自分も黙っていたくせに、拗ねたようにそう言うので、仕方なく笑った。
「…ずっと部屋にいると少し、息が詰まりますね。散策のついでに夕食の買い物に行きますが、あなたはどうしますか?」
そう誘ったトキヤに、音也が目を輝かせて「行く」と声を上げる。
「今朝、池のところに水仙が咲いてたんだ。すごい良い匂いなんだよ。トキヤも見に行こうよ」
やっといつもの調子が戻ってきたように、音也がそう言って笑った。トキヤは顔を傾けると、音也の唇に触れるだけのキスをした。不意打ちのキスに、音也が目を閉じる。トキヤはもう一度、音也にキスをしてから顔を離し、音也がそろそろと目を開くのを待った。
「例え二人きりの時間が減って身体が傍にいなくても、心の距離はそう簡単に変わるものではありませんよ、音也」
色素の薄い赤みがかった瞳を見つめそう言ってやると、音也は驚いたように目を見開いた後、今度はそれをぎゅっと細めて、泣くのを我慢しているような、そんな表情をした。
それから、唇を震わせるようにして笑って「くさいよ、トキヤ」と言った。
「あなたは本当に、失礼ですね」
溜息を吐いて言い返せば、勢い良く胸に飛び込んでくる身体。両腕で支えきれず音也を抱えたまま背中からベッドへ倒れこむ。膝の上から雑誌が落ちてひしゃげた音を立てたが、仕方ないと諦めた。
「大好き」
耳元で聞こえる声の大きさにトキヤは眉を潜め、「知っています」と囁いて音也の身体を抱き締めた。