夕立ち
急に薄暗くなった部屋に、トキヤは顔を上げた。先程まで金色の光を放っていた太陽は、いつの間にか雲に覆われ、ぽつぽつと降り出した雨がベランダの手摺を叩いていた。
読んでいた本を閉じ立ち上がる。
音也を振り向けば、ベッドの上で丸まって寝ていた。
道理で部屋が静かなはずだ。
溜息を吐き、ベランダの戸を閉める。吹き込んでいた風が止み、カーテンがそれを惜しむように窓にぺたりと張り付いて、落ちた。
雨の音が遠くなる。時計を見ればもう夕方の五時を過ぎていた。
そろそろ音也を起こさなければ。放っておけばいつまでも寝ている。
音也を起こそうと、剥き出しの肩に触れると、肌が微かに汗ばんでいた。
扇風機を回していたが、暑がりの音也には少し室温が高かったかも知れない。
トキヤは一度音也の傍を離れ、エアコンのスイッチを入れた。すぐに冷たい風が吹き出してきて、部屋の温度を下げていく。
遠い空が光り、しばらくして響いた雷鳴に、音也がひくと指を震わせ寝返りを打った。仰向けになった音也のシャツの裾が捲れて窪んだ臍が見えた。
ベッドの傍らに膝をついて、音也の名前を呼ぶ。一度では目が覚めず、二度呼んで「もう起きなさい」と言えば、トキヤの声から逃れるように、音也はごろりと転がって背を向けた。
雷が鳴っている。だんだんと近付いてきているのだろう。光と音の間隔が短くなっているようだ。
トキヤは音也の柔らかな耳朶に唇をそっと寄せた。
「いつまでも寝ていると臍を取られますよ」
そう囁いたトキヤの背後でタイミング良く轟いた雷鳴に、音也がパチリと目を開け、慌てたように自分の腹を探る。指先で臍の窪みを確かめて、ほっと息を吐いたので、思わず笑ってしまう。すると音也は肩越しにトキヤを振り向き、拗ねたような顔をした。
「…ひどいよ、トキヤ」
寝起きの、少し掠れた声。
「あなたがいつまでも寝ているのがいけないのです。そもそも、音也、あなたは雷が臍を奪っていくなんて話、今だに信じているんですか」
「……そうじゃないけど、」
音也はそう言ってうつぶせになり、枕を抱いて顔を埋めた。
まだ眠いのか…。どうも元気が無い。
「…けど、なんです?」
ベッドに腰掛け、言葉の先を促してやる。
「…子供の頃の夢、見てたから…」
ぽつりと、音也が呟く。枕に遮られてくぐもった声になったそれは小さく、耳を澄まさなければ聞こえないほどだった。
早くに亡くなったという母親の夢だろうか…。
トキヤは、音也の柔らかな髪と無防備な背中をそっと撫でた。音也は大人しくされるままになっていたが、やがて首を捻ってトキヤを見上げ、小さく笑った。
「あのさ…トキヤ」
「はい」
「それ、やめて。泣きたくなるよ」
「そうですか」
音也の背から手を離し、代わりに頬に触れた。熱い頬を撫で、目尻を指でそっと押さえると、音也は一粒だけ、涙を零した。
「やめてって言ったじゃん」
そう言って笑うので、「やめましたよ」と言って、涙の跡にキスをした。音也が寝返りを打ち、腕を伸ばしてくる。その腕に抱き寄せられるまま、音也の体を腕の中へ抱いた。
部屋に一瞬光が差し込み、雷が鳴る。
「トキヤの手、あったかい」
トキヤの腕に濡れた頬を押し付け、音也が言った。
「温かいのはあなたの方です」
「…もう少しだけ、こうしててもいい?」
甘えるようにそう言って、音也はトキヤの背をぎゅっと抱いた。薄いシャツ越しに、音也の心臓が穏やかに動いているのを感じ、トキヤは溜息を吐いて音也に口付けた。
「仕方ないですね…雷が止むまでこうしていましょうか…」