ぬくもり
自分に対し、平気でこの距離に飛び込んでくる相手は一人しかいない。
「…どうしたんですか」
肩に寄りかかってくる重み。赤みがかった髪が頬に触れる。
座席の後方からワッと歓声が響き、翔が「お前ずりーぞっ」と叫ぶ声が聞こえている。カードゲームでもしているのだろう。
「眠くなっちゃった」
音也が甘えるようにそう言って、頭をトキヤの肩に摺り寄せた。
久しぶりに全員揃ってのロケだからだろうか。昨夜、トキヤが仕事を終え深夜に戻ると音也はまだ起きていて、一泊用の荷物を鞄から出したり仕舞ったりしていた。遠足前の子供のように落ち着かず、「俺、軽井沢って初めて」と三回は言っていたように思う。興奮した音也がなかなか寝付かずにいたので、結局トキヤも殆ど眠れず朝を迎えた。
「だから早く寝なさいとあれだけ言ったでしょう」
呆れて言えば、音也は上目遣いにトキヤを見てエヘヘと笑った。
「だってさぁ、みんなとの旅行なんか久しぶりだから嬉しくって」
「軽井沢には遊びに行くのではなく、仕事で行くのですよ」
「うん、分かってるって…ん…」
音也が不意に目を細め、そのまま大きく欠伸をする。それを見ていると、釣られたように欠伸が出て、トキヤは音也から顔を逸らし手で口元を覆った。
「あ、珍しい。トキヤの欠伸」
じわ、と涙の滲んだ目で音也が顔を覗き込んでくるので、手の平で音也の目を多い隠す。
「私だって欠伸くらいしますよ」
「へー…でも、俺、初めて見たかも…」
音也がそう言って目を覆っているトキヤの手を上から掴んだ。
温かな指がトキヤの指に絡み、引っ張る。手を退けてやると、音也はもう一度欠伸をして「眠い」と呟いた。二度目の欠伸で滲み出た涙が目頭に溜まっている。それを擦ろうとした音也の手を掴んで止めさせ、トキヤは指先でそっと音也の目頭を押さえ涙を拭った。
音也が閉じていた目をゆっくりと開き、トキヤをじっと見つめてくる。
音也が何を期待していたのか分からなかったわけではない。
背後は騒がしく自分達の会話は誰にも聞こえてはいない。姿さえ、運転席からは衝立があるので見えず、皆からはトキヤの髪しか見えていないだろう。
「トキヤ」
音也が秘密を囁くような声でトキヤの名前を呼んだ。トキヤは溜息を吐き、顔を傾けた。
キスをされると思ったのだろう。目を閉じ、同じように顔を傾けた音也の鼻をぎゅっと摘んでやる。鼻を摘まれたまま、音也が「うー」と唸り声を上げる。
「何を考えてるんですか。こんなところでしませんよ」
そう言って鼻を離すと、音也は鼻を擦りながらトキヤを小さく睨んだ。
「誰も見てないのに」
「そういう問題ではありません。あなたは無用心すぎますね」
「トキヤのケチ」
文句を言いながら、離れては行こうとしない音也の頭を引き寄せ、自分の肩に乗せる。
「文句を言っていないで、さっさと寝なさい」
指で髪を梳くように撫で、囁く。音也は「はーい」と間延びした返事を寄越すと、もぞもぞと動いてトキヤの肩に居心地の良い場所を探し始めた。暫くしてやっと頭が上手く乗る場所を見つけたのか、静かになる。すぐに聞こえてきた寝息にトキヤは溜息を吐くと、二人の膝の間に落ちた音也の手に手の平を重ね、目を閉じた。