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素っ気無いホテルの部屋は、地方公演の間だけの仮の宿だ。しんと静まり返った空気に目が冴えてしまい、音也は体を横へ倒した。隣のベッドを見れば、トキヤの頭が見える。いつもは髪に隠れている形の良い耳朶が露わになっていて、悪戯心が湧いた。
そっとベッドを降りて、一歩でトキヤのベッドの傍へ行きしゃがんだ。トキヤは熟睡していて起きる気配が無い。
まずは寝顔を観察することにした。とはいえ暗闇では良く見えず、ベッドサイドの灯りを絞って点けた。
トキヤの寝顔を見ることはあまりない。トキヤは大抵、音也よりも遅い時間まで起きているし、朝は必ず音也よりも早く起きるからだ。音也はと言えば、一度寝てしまえば朝まで目が覚めることは滅多にない。
だから、こうしてトキヤの寝顔をゆっくりと見る機会は殆ど無いのだ。
長い睫。にきびひとつ無い肌。すっと通った鼻筋、薄い唇。
やっぱり綺麗な顔…。
ほ、と溜息を吐いてトキヤの顔を見つめる。
トキヤの顔なら毎日見ている。見慣れているはずなのに、それでもこうして何度でも見惚れてしまう。
恋心を自覚したばかりの頃は、トキヤに見つめられるだけで気持ちが浮き足立った。
初めて好きだと言われた日、初めてキスを交わした時のことは忘れない。それだけでも夢のようだったのに、トキヤは音也と身体を交えることも厭わなかった。
時折与えられるトキヤの熱を思い出し、顔が熱くなる。
トキヤの唇が自分の為だけに恋の言葉を紡ぐ瞬間、どれだけ心が震えるか。それだけで意味も無く泣きたくなるようなこんな気持ち、トキヤはきっと知らない…。
こんなに好きになるなんて、思わなかった。
切なくなって、ベッドに顔を伏せる。すると、不意に髪を撫でられた。
「…何を、しているんですか」
静かな溜息と、低く囁くような声。顔を上げると、首を傾げ音也を見ていたトキヤを目が合った。
「今何時ですか」
「え…えーと…」
慌てて、ベッドサイドのデジタル時計を見る。
「三時四十七分だよ」
「あなたにしては…早起きですね、音也」
呆れたようにトキヤが言う。
嫌味も、いつものキレが無い。疲れているのだろう。そう気付いて、急に罪悪感を感じた。
「起こしちゃってごめん」
そう謝って、トキヤの傍を離れようとすると、トキヤは息を吐いて音也の手首を掴まえた。
「怖い夢でも見たのですか」
「ううん、違う、けど」
「けど、なんです?」
「トキヤの顔が見たくなって」
素直にそう伝えると、トキヤはまた溜息を吐いた。
溜息は、呆れたような、諦めたような、そんな複雑な色をしていた。
「毎日飽きるほど見てるでしょうに」
「飽きないよ。トキヤの顔、大好きだもん。毎日、好きになるよ」
大好きなトキヤの目を見つめ、音也は言った。トキヤが一瞬言葉に詰まったように黙って、それからふと笑う。
「全く…あなたって人は…本当に…」
トキヤは囁いて、音也の肘を掴んだ。そのまま、ぐい、と引き寄せられ驚く。言葉は何も無かったけれど背を抱いた手に促され、音也は布団の中に潜り込みトキヤの隣に寝転がった。
枕が無いので頭の落ち着く位置を探しもぞもぞと動いていると、トキヤは音也の頭を胸に抱くようにして引き寄せ、もう片方の手を伸ばして灯りを消した。
ふ、と暗転した部屋で、額にトキヤの唇が押しつけられた感触があった。
「…私も、あなたが好きですよ」
柔らかく囁く声に、泣きたくなる。それが分かったのかも知れない。トキヤが小さく笑った気配がした。
「おやすみなさい、音也…」
何度でも、君に恋をしよう。