やきもちやきの恋人
夕方、トキヤが部屋に戻ってきた時には既に様子がおかしかった。おかえり、と言ってトキヤを迎えたものの、自分のベッドに寝転んだまま起きようとせず、読んでいる雑誌から顔を上げなかった。その時は雑誌に夢中になっているのだろうと気にも留めず、むしろ音也が静かにしてくれているので自分のやるべきことが捗って良いなどと思っていた。トキヤが夕食までの暫くの時間に小説を読んでいる間も、音也が纏わりついてくることは無かった。何を読んでいるのか、楽しいのか、内容を教えてくれ、と煩く言ってくることも無く、小説を半分ほど読んでしまってから、夕食の準備を始めた。野菜を煮込んだトマトソースを前日の夜に作っておいたので、パスタを茹でそれを絡めるだけで良い。トキヤがフライパンでパスタの仕上げをしていると、音也がキッチンを覗きに来た。やっと雑誌を読み終わったのかと、音也を見ると、音也は何かを言いたそうな顔をして、だが何も言わずふらりと行ってしまった。いつもならば、美味しそうだとか腹が減ったとか言って、鬱陶しくしているところだ。
どうも、おかしい。
仕方なく、ダイニングテーブルへ夕食の準備を済ませ、その時にはまたベッドに戻って寝転んでいた音也を呼び寄せ、向かい合って食事を始めた。
音也はとにかく良く食べるので、自分の皿よりも多めにパスタを盛ったが、それを見ても嬉しそうな顔をしない。それどころか食べることに集中していないようで、ぼんやりとしてあまり食べ進んでいない。
いつもならば…。
また、そう考えて、トキヤは眉を寄せた。
とにかく、音也の様子がおかしいのは間違い無さそうだ。
「…具合でも、悪いんですか」
仕方なくそう訊くと、音也がはっとしたように顔を上げトキヤを見た。
「う、ううん。別に。…このパスタ、美味しいね」
うわついた声でそう言って、ぎくしゃくとパスタを口に運ぶ。とても美味しいと思っているようには見えなかった。
何かあったようだが、それを自分に告げる気は無いのだろう。トキヤは音也に隠し事をされた不快感に溜息を吐いて、手を伸ばし音也の皿を自分の方へ引き寄せた。
「あ…」
音也が驚いたように皿の端にフォークをかけて引きとめようとするのを、音也の手を甲を叩いて止める。
「食べたくないなら食べなくて結構ですよ」
そう言ったトキヤの不機嫌さを感じたのか、音也が慌てて首を振った。
「食べたくないなんて言ってないじゃん」
「そうですか?私にはそのように見えましたが」
冷たく言えば、音也がバンとテーブルを叩いて立ち上がった。
「違うってばっ」
怒ったように言う音也の声の大きさに、思わず顔を顰める。
「静かにして下さい。何なんですか、一体」
不愉快なのはこちらの方だ。そう態度に出しながら、トキヤは立ち上がったままでいる音也の顔を見上げる。音也はぐっと言葉を詰まらせトキヤの顔を睨んでいたが、ダイニングテーブルを離れベッドへと向かっていった。
これでまた暫くは静かにしているだろうと思いながらトキヤは食事を再開させたが、音也はすぐにテーブルへ戻ってきた。
「…これ、なに。トキヤ、自分で買ったの?」
音也が拗ねた声で言って差し出してきたのは、グラビア雑誌だった。
表紙こそ水着の女性だが、中にはかなりきわどい写真も載っている。その雑誌を、トキヤはそのうちに処分しようと思い、ベッドの下の箱の中へ仕舞っておいたはずだった。
「何故、それをあなたが持ってるんですか」
「何だって良いじゃん。俺の質問に答えてよ」
「良くありません。私の荷物を勝手に弄ったんですか」
フォークを置き、音也の手から雑誌を取ってテーブルに置く。音也は暫く黙っていたが、やがて「それは、謝るけど」と小さな声で言った
「探し物してて、目についたから…。勝手に開けて悪かったとは思ってる、けど。べ、ベッドの下にエロ本隠しておくとか、そういうの、トキヤがするって思わなかったし、それに、俺やっぱ、他の人の写真見てされるのとかすごい嫌だしっ…それに、」
音也はそこで一度黙り、トキヤから視線を逸らし俯いた。
「…やっぱり、女の子の方が良い?」
ぽつりと呟かれたそれは、音也らしくない、小さくて弱々しい声だった。
トキヤは呆れて溜息を吐くと、音也の手を掴んだ。
「誤解されるような場所へ置いておいたのが間違いでした。この雑誌は、共演した方から頂いたのですが、その時はまだ発売日前だったので処分が出来ず、とりあえず仕舞っておいたものです」
トキヤは説明しながら空いている手で雑誌を捲り、水着姿の女性が載ったページを音也に見せた。音也もその顔には見覚えがあるだろう。
それは駆け出しのグラビアアイドルで、一週間ほど前にトキヤがテレビ番組で共演した女性だった。その女性がどんなつもりで雑誌を渡してきたかは知らないが、少なくともトキヤはその女性に対し、音也が勘繰っているような興味は持っていない。
「一応中身は確認しましたが、この雑誌を使ってあなたが想像しているようなことはしていません」
「じゃあ、なんで隠してたんだよ」
騙されるものかというように音也が言うので、トキヤは雑誌を閉じて立ち上がった。
「他の方の写真で、あなたに自慰をされるのが嫌だったからです」
音也に向き合って立ち、そう告げる。音也がそれを聞いてじわじわと頬を赤くする。
「まさか、していないでしょうね?」
音也がこの雑誌を見つけてからずっと悩んでいて、そんなことを思いつく暇も無かっただろうと分かってはいたが、意地悪く訊いてみた。音也は赤くなった顔をぶんぶんと振った。
「してないよ」
「そうですか?私より、あなたの方が疑わしいですね」
「してないってばっ」
鎖骨のあたりまで赤く染めながら音也は否定した。
きっと、シャツに隠れている胸も赤くなっているに違いない。
トキヤはふと笑うと、音也の耳朶に口付け、柔らかな皮膚を噛んだ。ひく、と音也が体を震わせ、トキヤの肩に縋ってくる。
「確認しても?」
トキヤは音也の耳に息を吹きかけるようにして囁いた。
「いいよ」
音也がとろけるような甘い声でそう言って、トキヤにキスをねだった。
その仕草に心臓が跳ねる。
女の子の方が良い、なんてどうしてそんなことを思ったのか。こんなに心を躍らせ、そしてとろけさせるのは音也だけだと言うのに。
「好きだよ」
切ない声で告げた音也の唇に、トキヤは優しいキスをした。
(20121202)