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玄関からリビングに入り、嶺二は足を止めた。
毛足の長いラグの上に、音也が大の字になって寝ている。腹から膝の辺りにかけてブランケットが掛けられていたが、その下が全裸であることは簡単に想像がついた。
洗面所の方から聞こえてくるシャワーの音に溜息を吐いて、音也の傍へしゃがみ込む。
トキヤと音也が所謂恋人の関係だということは、一緒に暮らし始めてすぐに気付いた。さすがにトキヤは上手く隠していたが、音也は秘密の恋をするには素直過ぎる。長い時間を三人で一緒に過ごしていると、ちょっとした仕草や表情で分かってしまうものだ。
例えばトキヤの体に触れる音也の、甘えたような仕草に。さりげなく甘やかされる度、嬉しそうに目を細める表情に。ドラマやCMの中だけのトキヤの恋人役を見る、真剣で切なげな視線に。
嶺二が勘付いていることに、トキヤは薄々気付いているようだが、音也は全く気付いていない。
そう、今までは嶺二も敢えて知らない振りをしてきたのだ。
音也が人一倍愛情に飢えているのは知っている。そして、トキヤがそんな音也に誰よりも愛情を与えたがっていることも。
二人を引き離そうとは思わないが、この関係はやがて二人の足枷になりかねない。
「全く、どうしたものかねぇ…お兄さん、困っちゃうな」
呟いて、音也の頬を指でつつく。まだ少し幼さの残る柔らかな頬へ指が食い込み、音也がむにゃむにゃと声を上げた。
「ん…も、お腹いっぱい…だよ…」
「おやおや、色気より食い気か、おとやん」
話しかけたくらいでは音也が起きないことは知っていたので、笑いながらそう言って頬をつつき続けていると、音也が「もう食べれないってば」と唸って、寝返りを打った。ブランケットを足に巻き込んで反転したので、引き締まった尻が露わになる。
「おおっと、若い子は大胆だね」
仕方なくブランケットを引っ張って音也の尻を隠してやろうと四苦八苦していると、洗面所のドアが開きトキヤが出てきた。
「何が大胆なんですか」
呆れたように言い、嶺二の手からブランケットの端を奪って、些か乱暴に引っ張り音也の尻を隠す。
「ただいま、トッキー」
「帰ってくるのは明日のはずでは?」
「それがさぁ、ぼくちん優秀だから撮影あっという間に終わっちゃって、帰ってきちゃいましたー。てへ」
「てへ、ではありません。どうして連絡くらい出来ないんですか」
トキヤが腕を組み、怖い声を出す。
「だってまさかトッキーとおとやんがこんなことしてるなんて思わないじゃん」
「こんなこととは?」
「セッ、ぶわっ」
言葉の途中で、タオルを顔に押し付けられる。いや、押し付けらたというよりは、叩き付けられたと言う方が正しい。
「ひどいよトッキー。アイドルの顔にっ」
文句を言ってタオルを引き剥がし、トキヤを睨む。
いつもは澄ましているトキヤの顔が赤く染まっていて、笑った。トキヤが目頭に皺を寄せ、嶺二を睨む。その表情さえ照れ隠しに見えて、嶺二には可愛らしく感じられる。
どんなに大人ぶっていても、所詮はまだ十代の若者なのだ。
「寿さん」
コホンとひとつ咳をすると、トキヤは作ったように冷静な声を出した。
「私は何を言われても構いません。しかし音也には…」
真っ直ぐに見つめてくる真剣な瞳に、嶺二も笑うのを止め向き合った。
「僕は止めない。でもこの先、その恋がおとやんを傷付けることがあるかも知れないよ。それでもトッキーはおとやんを愛し続ける覚悟があるのかな」
トン、とトキヤの胸を拳で叩いて、訊いた。
「ええ、もちろん」
トキヤはふと笑って、答える。
その声は自信と、愛情に満ち溢れていた。
まさかそんなふうにはっきりと肯定されるとは思わず、呆れ半分、感心半分で、嶺二は「そう」と気の抜けた声を上げた。それから、仕方なく笑った。
「じゃあ、僕は今日何も見なかったことにする」
「ありがとうございます」
トキヤは礼を言い、嶺二に背を向け音也の背を支えるようにして起こした。
「音也、ここでは風邪を引きます。ベッドで寝なさい」
「ん…眠いよ…」
音也が寝惚けた声を上げ、トキヤの首に抱きつく。
愛しげにトキヤの髪を掻き混ぜる、指。トキヤが呆れたように笑って、音也の体を抱き締める。
きっと二人きりの時間はいつも、こんな甘い空気が流れているのだろう。
音也を抱きつかせたまま、トキヤは三人のベッドがある部屋に入っていく。部屋の入り口で肩越しに振り向かれ、嶺二はひらひらと手を振った。
あの空気に平気で割り込んでいくような図々しさは、残念ながら持ち合わせていない。
トキヤがすみませんというように顎を引いて礼をし、部屋の扉を閉めた。
静かに遮蔽された空間に思いを馳せ、嶺二は音也が落としていったブランケットを掴んでソファに寝転んだ。
「全く、若いっていうのは無敵だね…」
さて、ソファで寝る代償に、トッキーに何を課してやろうか。一週間の風呂掃除か、それとも…。
不機嫌そうにしながらそれでも嶺二に大人しく従うだろう後輩の顔を思い浮かべ、嶺二は笑って目を閉じた。
明日はきっと、良い日になるだろう。
(20120114)