春の兆し
二月も半ばとなり、やっと花芽を伸ばし始めた水仙を見て、近藤が言った。
江戸城での夜勤を終え、その顔は少し疲れている。一晩中、将軍の警護に当たっていたのだ。気を張っていたのだろう。
早朝の風はひやりと冷たい。近藤は忙しなく、赤くなった指先を擦り合わせたり、耳朶を揉んだりしている。
「なかなか暖かくならねぇからな。花も遅いんだろう」
「梅や桜はどうかな」
蕾が大きく膨らんだ白梅の木を見て、近藤が訊いてくる。
「さあな。紅梅はもう咲いてるんじゃねえか」
土方は素っ気なく答えて、歩みの遅くなった近藤の前に出た。
早く自分の部屋に戻って、煙草を吸いたい。
道の先に見えてきた屯所の門構えに、土方がぼんやりとそんなことを思っていると、不意に腕を掴まれた。
「よし、湯島に行こう」
土方が振り向くと、近藤が満面の笑みでそう告げた。
「冗談じゃねぇ。この寒いのに誰が好き好んで湯島なんか行くか。行きたきゃ一人で行け」
寒さで赤く染まった近藤の頬を睨む。
「良いじゃねえか。満開になりゃゆっくりと見れねぇもん。一足先に見に行こうぜ」
「俺は嫌だよ。梅なら屯所にもあるだろうが」
近藤の腕を振り払い屯所に向かった土方を、近藤が「つまんねぇな」とぼやきながら追ってくる。
門前で警備をしていた隊士が二人に気付き黙礼をした。隊士に視線で応え、門を潜る。
門の脇に植えてある紅白の梅は、やはり紅梅のみが三分咲きで、白梅はまだ花開きそうにない固そうな蕾だった。
それを見て、近藤が悲しげな溜息を吐いたので、笑う。
「……春になったら、あんたの花見に付き合ってやるよ」
土方は呟いて、近藤の肩を叩いた。立ち止まっている近藤の脇を抜け、建家に入る。
「約束だぞ」
背中にかかった近藤の声に手を上げて見せ、土方は煙草を取り出しながら自室へと向かった。
いずれ花は咲き誇る。それまで寝転んで、遠い春を待つのも良いものだろう。