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【庭球/真幸】愛溺

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それまでの朗々とした声音が急に小さくなって、幸村が俯いた。声を掛けても顔を上げようとしない。他愛のない談笑をしていたはずなのだが、何か気に障ることを言ったろうか。しかし彼はそういうことを臆せず口にする質だ、きっと気分を害したわけではないだろう。ならば体調でも悪くなったのか、嫌に心配になって顔を覗き込む。
「ねぇ……俺はね、真田。言葉になりたいんだ」
しばらくの沈黙の後に零れたそれはひどく抽象的な言葉だったが、漸く顔を上げた幸村の眼差しは濁りなく真っ直ぐで、彼がいかに真剣であるかを知る。
だから何を言わんとしたのかよく理解出来ずに面食らったけれども、真田は口を噤み無言でただ幸村の声に耳を傾け続けた。
「だって言葉は何百年、何千年でも生きられるだろう。見知らぬ誰かが口にして、書き記して、消したり残したり、そうやって言葉は生きている」
幸村にとって生きることはとても大切なことだ。
だからそんなことを言うのも分からなくはない、人間からすれば永遠とも言える長い時間を生きる、本気でそれを願ってしまうのも当然なのだ。
息をして、傍に立ち、会話をしているということ。
一度でも幸村の身を苛んだ病を思えば、それがどれほど貴重であるかがよく分かる。
だからこそ幸村が生存について口にすることは、真田にはどうしても重く感じられた。
何故か胸が苦しくなってしまうのだ、本当に苦しいのは、苦しかったのは彼の方だというのに。
病の淵から這い上がった今もなお、それは未だ彼の心を、彼を取り巻く多くの者の心を蝕んでいる。
「言葉になって、永遠に生きていたい。何よりもお前のその唇に俺は紡がれたい」
 お前の声帯を震わせる空気になりたい。呟きながら幸村は真田の喉にキスをした。
 喉仏を唇で柔く食むようにされると、擽ったさよりも痒みのような、妙な感覚が走る。
「やめ……」
 上手く声が出なかった。幸村の唇が発声の邪魔をする。仕方なしに飽きるまで好きにさせることにして、右手で背中を擦り、左手はこちらのブラウスをくしゃくしゃにする手を包み込んでやった。いつから身長に差が開きだしたのだろう。
いつからこんなに、幸村の素顔は弱く脆くなってしまったのだろう。必死に縋る手は尚も真田のブラウスを乱す。顔は見えないが幸村が泣きそうであることはなんとなく感じ取れたので、宥めるように頭を撫でた。
「呪いでも祝福でも賛辞でも、どんな言葉だって構わないんだ。俺は言葉になってお前にまとわりついていたい」
 一頻り真田の喉にじゃれつき終え、頭を撫でられるのに身を任せか細く幸村は語る。
本当は何を言っているのか自分でも分かってはいなかった、どうせはこんなこと、授業中に漠然と感じただけのものでしかない。
英語でも古語でもなんだって、言葉はこの世の生き物のなかでは一番の長生きだ。成長し変化し退化しても、今尚息づくいっそ恐ろしくさえあるいのち。そんな風に自分もなれたならどれほどいいだろう、そうして彼の手によって記され、声になり、一度でも内側からひとつになれたならどんなにか。
意味の無いぼんやりした思考から生まれた願望にどうせ大した意味はついてこない。それでも、そんな些末なものを口にせねばならないほどには心が逼迫しているらしく、本気でそうなりたいと思っているのも事実だった。
彼が死ぬまで彼の傍にありたい、どんなくだらない意味や醜い響きの言葉だって構わないから、彼の一生に何度だって登れるものであれたらいいのに。
「……しかし幸村」
力強い手が止まる。触れられる心地好さにすべてを預けて瞼を閉ざしていた幸村は、ゆっくりと目を開き彼に虚ろな視線を向けた。
「お前がもしも言葉だったなら、こんな風に触れ合うことはおろか、想いを伝え合うことさえも叶わない。お前はそれでも平気なのか」
「そうだな……。たしかに、なにも出来ないし、そもそも俺がお前の存在を認識すらできないかもしれない。でも、だけど…………それでも、俺は」
「許さんぞ」
語気強くとまではいかないが、しっかりとした意思の籠った、彼らしい力のある声だった。
明瞭なそれは靄のかかった幸村の思考を割る。真田の両手がこちらのそれぞれに絡みぐっと力を込められて、長年のたこで固くなってしまった指や手の平から、彼特有の力強さを感じた。
それは、朧気に生きる今の幸村には絶対に持ち得ることの出来ないものだ。否、これから先もきっと不可能だろう。或いは、過去の自分なら持っていたのかもしれないが。
「言葉になるなど……、お前が俺の傍らにいないなど、絶対に許さん。そんな妙な妄想に付き合っていられるか。お前のそんな考えこそが俺にとっては呪いだ」
 真田は額を幸村のそれに押し当てた。滑らかな肌を前髪越しに感じる。僅かに握り返してくる指はしかしテニスプレイヤーらしくもあり、花や土に触れているせいか少しかさついている。瞳が、何かにあえく揺れたような気がした。
「……真田は、我が儘だなぁ」
「我が儘はどっちだ」
「なら、横暴」
「横暴で結構だ」
「なに、怒ったの?ごめんごめん」
「…………」
軽口を言えるほどには気を持ち直したらしい、それまで淡々としていた声にようやく色が戻り始める。手の平を浮かせたので力を込めていた指をほどいてやった。
暫く見つめ合っていたものの、幸村はふとまた俯き、今度は真田の首元に顔を埋める。柔い髪が擽ったい。
「……すまない、なんだか……変なことを、言って」
「構わん。それを聞き流さずに受け止めるのが、俺の役目だからな」
「ふふ……。苦労を……、かけるね」
「部員を纏めるよりは随分と楽なものだ」
「そう……」
ゆっくりと背中に腕を回してやると、再び幸村の唇が喉に触れた。首筋を辿り、顎を経由して唇に近づいていく。そのままキスをするのかと思ったが数拍間が空いたので、怪訝に思い背を撫でた。
「幸村?」
「……何でもない」
 勢いづけて口付ける。不意打ちに驚いた彼が目を見開くのが、瞼を閉じる最後に映った。
キスの心地好さから再度ぼんやりとし始める脳裏で幸村はなんとなく思う。
きっと本当は、言葉になどなれなくても、彼に名を呼ばれるだけで自分は別に構いやしないのだ。彼が単なる書類に自分の名を書くだけでも満足できるのだ。
真田がただ何気なく名を呼び、どこかに書き記してくれるだけで、それはもう言葉としての役割を十分に果たしている。幸村精市という固有名詞が彼の脳に浮かんでいるだけで、十二分に自分は彼にまとわりつく言葉になれる。
その意味は一体なんだろう。
愛だろうか、慈しみだろうか、幸福だろうか。
いつか聞いてみることができればいい、ただひとつ、それらが自惚れでなければ良いのだけれど。


愛溺


作品名:【庭球/真幸】愛溺 作家名:有間小麦