おみくじ
兄弟の両親も一緒で、家族全員、きっちりと着付けた和服に身を包んでいる。さすが暦町で一番の老舗呉服屋というべきか、素人目にも上等な仕立てだとわかる。
新年の挨拶をしたあと、これから帰るところだという兄弟に、皐月は一緒にお神籤を引いていかないかと誘った。
「俺は興味ない。一人で引けばいいだろ」
「えー、だってこういうの、一人でやっても盛り上がんないじゃん?」
「知るか!」
つれない卯月と諦めの悪い皐月のやり取りに、兄弟の両親はいつものことだと察したか、ゆっくりしておいで、と先に帰ってしまった。
それでもまだ渋る様子の卯月だったが、弥生のおっとりとした呟きが、鶴の一声となった。
「みんなで一緒にお神籤を引くなんて、子供のころを思い出して懐かしいなあ。ねえ、卯月?」
そうだな、と小さく相槌を打った卯月が、すかさず無言で睨み付けてきたけれど、皐月は当然のように素知らぬ顔を通した。
皐月と兄弟二人は、さっそく一緒にお神籤を買った。
この金が最終的にあの神主の財布に入るのかもしれないと考えるとちょっと微妙だな、と内心では思いつつも、巫女姿のアルバイトに笑顔でお礼を言って、お神籤を受け取る。
そして、小さく折り畳まれたお神籤の一番上に書かれた二文字を見た瞬間、皐月は思わず叫んでいた。
「ぎゃっ! 出た!」
「お神籤くらいでいちいち大声出すな、愚民が」
今年も鈍る気配のない罵声に、皐月はいじけたように口を尖らせる。
「だってえ〜……」
卯月はすかさず「気色悪い」と切り捨てたのち、皐月の手元をのぞき込んだ。
「ふうん、大凶ねえ……。まあ、お前は今年も何の成長もなく底辺の愚民だってことだな」
「ちょ、みんなにはさっきまで、そんなに気にするなとか言ってたじゃん!? さっちゃんにもやさしくしてよお!」
大袈裟に嘆く皐月に、卯月はくいっと指先で眼鏡のブリッジを押し上げ、冷淡に言い放った。
「俺は、何事も日頃の行い次第だと言っただけだ。お前の日頃の行いは、どうせ大吉が出たところで改まるとも思えないからな。まあ、そういう意味では、去年以上に悪くなりようもないということだ。よかったな、底辺で」
「やよちゃあん! うーちゃんがいじめるよお!」
わざと舌足らずの子供のような口調で喚きながら、素早く弥生の背に隠れた。忌々しげに眉間の皺を増やした卯月に、弥生がやんわりと諭す。
「卯月、ダメだよ。皐月くん、いつも徹夜までして、あんなにがんばってるじゃない。ちゃんと応援してあげなくちゃ」
「徹夜するような羽目になる前にどうにかする努力を怠った人間の頑張りなんか、ただの自業自得って言うんだよ」
「ううう……!」
正しすぎる正論に弥生の背中でうめく皐月に、卯月は付き合いきれないとばかりに露骨な溜め息を吐き、スタスタと鳥居に向かって歩いていってしまった。
ばっさりと切り捨てられて反論の言葉もない皐月は、しょんぼりと肩を落としながら、もう一度、手元のお神籤を開き、溜め息を吐いた。
大凶を引いて、この世の終わりのように泣き喚いた子供のころとは違う。所詮はただのお神籤だ、と割り切れる程度には大人になった。
しかし、新年の初めに運勢が最悪だと言われて幸先がよいとは言えないし、いくらかテンションが下がるのは、ごくごく普通の感覚だろう。
「やよちゃん。俺、お神籤結んでくるよ。すぐ追いつくから、先行ってて」
気持ちを切り替えて顔を上げると、弥生が思いがけないことを口にした。
「ねえ、皐月くん。もしよければ、僕のと交換する?」
「へ?」
「お神籤と一緒に、運勢も交換しちゃえばいいよ。何となく二人と一緒に引いたけど、僕はあんまりこういうの気にしないほうだし。だからきっとこれは、僕が持ってるより皐月くんが持っていた方がいいと思うんだ」
そう言って弥生は、自分の引いたお神籤を、すっと皐月の手に握らせた。
「え、ちょ、待って―――」
「それで、こっちは僕の。ね? これで何の心配も要らないよ」
皐月の手にあった大凶のお神籤を取り上げると、弥生は一件落着とばかりに、にっこりと微笑んだ。
いきなりのことに頭が追いついていなかった皐月だが、ここにきてようやく叫んだ。
「何の心配も要らないじゃないよ! 勝手に運勢の交換なんかしないでよ!」
「でも、皐月くんは、大凶より中吉の方がいいでしょ?」
「だから! そうじゃなくて!」
きょとんと首を傾げる弥生には、本当に言葉通りの意図しかないのだろう。つまり、彼にとってはその程度のものなのだ。だからこそ、良かれと思ってこんなことを言い出した。
そもそも騒いだ自分のせいなのだと思うと、自己嫌悪に頭が重くなる。
「……そうやって、簡単に引き受けるなんて言わないでよ。もしやよちゃんに 何かあったらどうすんの……」
うなだれる皐月に、弥生はしばらく何を言われたのかわからない様子で、不思議そうにぱちぱちと瞬きをしていた。
だがやがて、彼はいつものような、ふんわりとした微笑を浮かべて言った。
「―――皐月くんは、いい子だね。心配してくれてありがとう」
彼は、皐月が心配する理由を理解したわけではないだろうが、皐月が心配しているという事実だけは把握したらしい。
弥生は皐月の頭に手を伸ばし、子供をあやすように、やわらかい髪を撫でた。
「これは僕が責任を持って、境内に結んでくるから大丈夫。そんな顔しないで?」
「でも、やよちゃんの分は」
「それはいいよ。僕の運勢は、皐月くんが預かっていて」
そう言うと、弥生は皐月のお神籤を持って、括り付けに戻っていく。それを呆然と見送りながら、皐月は自分の手元に残された弥生のお御籤を開き、恋愛運の項目を見て、思わず苦笑いを浮かべた。
―――信じれば道は開ける。諦めぬ事が肝要。
諦めずに想い続けて、開けた道の先に待つのはどんな未来か。
その答えはまさに、神のみぞ知る。