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おだやかな、無害な、そういう人間として周囲から意識『されない』存在でいること。
それもまた僕に与えられた任務の一つだ。
目立ってはならない。
怒ってはならない。怒らせてはならない。
神にも等しいその存在の目に、触れてはならない。
気付かれてはならない。
 
それは任務であり義務だった。
誰に強制されているわけではない。
命じたのは組織の上司だが、従ったのは己の意思だ。
僕の生き場所を守るために、僕という存在を守るために。
そのために自分で選んだそれを苦痛に感じるようになったのはいつからか。
 
ただ見守り、守り、戯れにこの世界のリセットボタンなど押させないよう。
笑顔を貼り付けて、逆らうことなく、忠実に、
…………。
 
殺風景な部屋、壁際のベッド。
膝を抱えて小さく小さく息をつく。息を継ぐように。
(…彼のせいだ)
酷く疲れていた。肉体的な疲労ではない、胸中に澱が沈む昏い感覚。
 

「なにもしらないくせに」
 

自分とは何なのだろう。感傷的な思考が消えない。
12年間積み重ねてきた『普通』を全て覆され、秘密組織とやらに救いの手を求め、これまでの友人も知人も誰もいない土地で慣れない笑顔の演技を続けた。続けている。世界を守るために。
 
けれど『彼女』の暴走を止めるのは、いつだって自分ではない、彼なのだ。
 

これまでの常識を裏切られても何とはなしに受け入れ、彼女や彼女達の本性…本来の目的とか力とか正体とか、その気になれば自分達の事など比喩抜きで『消して』しまえる事だとか、知っているくせに知らないふりをして(或いは実感していないのか)(それとも信じているのか)至極普通の友人に対するのと何ら変わりなく接する『彼』だけが。
 

「…なにも」
 
筋違いな感情だ。
こういう在り方を望んだのは自分で、そういう在り方を選んだのは彼で、そこに対立関係は存在しない。ただ、結果的に、彼のやりかたの方が、彼女に対してより効果的であったというだけのこと。
 
苦労には、必ずそれに見合う対価がある。
そんな幻想を信じてなどいなかった筈だけど。
自分で選んだ在り方を、捨てるのもまた自分の選択でしかないと知っているけれど。
 


それでも、
では、
自分とは、
何のために。
 


…彼女を信じるのとおなじように、貴方は僕を信じますか。
こんな風に見苦しく、足掻いて、筋違いの嫉妬を貴方に向けている僕を。
 
彼に聞いてみたいと思った。今の自分には、それが出来ない事を知っていた。
 
目を閉じる。
眠りは訪れてくれそうにない。
作品名: 作家名:蓑虫