贄
わざとらしく喉奥で笑い声を立てれば、色素の薄い、細い目からすうっと柔和な光が消える。
そうだ、それでいい。そうでなけりゃあ、面白くねえ。
「…将とは、…馬とは、誰のことです」
「さあ…?誰の事だろうな?
少なくとも俺ごときが手を出したところで、お前の『機関』が動くような相手じゃないさ」
『機関』とやらが気にかけているのは、あの喧しい女一人。それ以外の誰かの身に何があろうが無関心、とまでは言わないが、積極的に関わることはしないとはこいつ本人の弁。
何故ならソレは彼女のための『機関』だから。
「後ろ盾もない、特別な能力もない、大して優秀なわけでもない」
「彼に手を出せば、涼宮さんも黙ってはいませんよ」
「本人が騒ぎ立てれば、だろう? 露見しない事実は、なかったのと同じことだ」
被害者が泣き寝入りする以外にない追い詰め方なんて、幾らでもあるんだぜ?
口にはせず、皮肉げに唇の両端を持ち上げた。その表情に何を見たのか、そいつはただ黙り込んで、射抜くような視線で俺を見下ろしている。俺はその視線をにやりと笑って受け流す。形だけの微笑を取り繕う余裕すら今のこの胡散臭い男にはないようで、その事実こそが、俺とこいつの力関係を如実に示していた。
沈黙は、思った程に長くは無かった。拍子抜けするほど。
「…何が、望みです」
「何だ、馬を射る前に将が落ちたか?」
片眉を跳ね上げ嘲笑を込めても、そいつは強張ったような無表情で棒立ちしているだけだ。
俺は少しだけ考える。この面白い玩具で、まずはどうやって遊ぼうか? 咥えたままだった煙草をぞんざいに揉み消して、俺はどっかりと机の上に脚を組んだ。『生徒会長らしく』ぴかぴかに磨いてある靴を顎先で示す。
「舐めろ」
「………………」
「意味は分かってるんだろう? 舐めろ」
繰り返す。さぞ屈辱的だろう。学生という同じ身分の、同年代の人間に俺は時代錯誤な服従の誓いを強要する。本心を綺麗に隠す術に長けたこの男の、嫌悪に歪む顔が見たかった。
けれど。
「………………」
沈黙も、無表情も、変わらぬまま。
そいつは身体を屈めて恭しく俺の靴に手を添えて一瞬の躊躇い、そして黒光りする革に顔が近づき、
「……っは、はは」
成る程。
成る程、お前はそういう風にしてお前自身の大切なものを、そして同時に『古泉一樹』を。
往生際悪く目元を隠す前髪を、嫌味なほど整った制服を、掴み上げ、突き飛ばし、踏みにじったところでその態度は変わるまい。
「…怖ぇ顔」
革靴の爪先で顎を捉え、ゆっくりと持ち上げたそいつの顔は相変わらず能面のように強張ったままで、けれど、なあ? いくら俺が一般的な男子高校生だって、これが何なのかぐらいは知っている。隠しきれていない怒りは多分、殺気に近い。ちり、と良心のようなものが疼くが、そんなものの声に耳を傾ける気は最早どこにもありはしなかった。
…最早?
…………否、
最初から、だ。
こいつは、これからどうやって俺の足元を掬おうとする?
それともゲームにはてんで弱いらしいから、このまま俺が居なくなる日まで唯耐えて耐えて従い続けるだろうか。そうすればいずれ、新しい玩具に俺が飽きると信じて?
「お前は馬鹿だな、古泉」
歪んだ嗜虐趣味に声を立てて俺は哂う。
逃げない事を選んだふりをしても駄目だと分からせてやる。
爪を牙を隠しても無駄だと思い知らせてやろう。
「お前は馬鹿だ」
お前がお前から逃げる限り、俺に向けられる気配が鋭いものである限り、俺はお前を。