花の日、夢番地で
少し暖かい風が一際強く吹き、それが凪いだ頃が合図です。
ビルの隙間に淡い色が、転々と、灰色に隠れて、時たま線になり、伸びた枝の先にまで花弁が垂れていました。少しずつ、落ちていくかけらもありましたが、葉が見え始めるまで、まだまだ時間がありました。
この時期になると、私の下は少しだけ騒がしくなります。見下ろす人々が私のまだ開かないつぼみを見ては、そわそわと日付と天候を気にし始めます。
淡い色の花の名前をご存知ですか? 私が言うのも何なのですが、この国の人は私たちのことを大層好いているようなのです。好かれているというのは、悪い心地はいたしません。昼は暖かいので、私の根元でどうぞお昼寝でもしていってください。夜は寒いので、風邪を引いてしまわぬようにお気をつけて。
それにしても、本当に多くの人が来るものですね。いえいえ、悪い気はしないのですよ。賑やかなのはとてもいいことです。この時期くらいは、賑やかで丁度いいと思うのです。
「桜の花は、咲いたばかりのころはどんなに強い風に煽られてもなかなか散らないんだって」、と、私の下で宴会を行っている方々の一人がそういいました。それを聞いた彼女は、『そうなのか』、と声には出さず、何かに文字を打ち込んで、白衣を来た彼にそう問いました。「このまえ、すごい風でしたもんね」、と傍らにいた童顔の少年がそう頷きます。「散ってしまうんじゃないかって、思ってました」、とそれに眼鏡の、物静かな少女が頷きました。
彼らはとても、ばらばらでした。白衣に漆黒のライダースーツ、制服にブランド物の服――、明るい色のビニールシートの上に、たくさんの食べ物と飲み物を置いて、楽しそうに話していました。彼らは一見ばらばらだけれども、そう、とても楽しそうだったのです。
宴会は午前中から、夕方の、空が傾きはじめる時間まで続きました。
そして、彼らは気が付かなかったのですが、彼らを遠くから眺める影が、その時2つあったのです。
「正臣は行かないの?」、と、少女は聞きました。横にいる少年は、明るく染め上げた髪をパーカーで隠し、ん、と、短く少女へ言うのでした。「楽しそうなのに」、と、少女は遠くの彼らの姿を見て、静かに笑います。「……桜、すごく綺麗だね」。
「んー、そうだな」
「お弁当、作ってくればよかった」
「コンビニので十分だろ」
「そうかな」、そうだよ。少年がそういったので、少女は最初こそ、首をかしげはしましたが、そうだね、と微笑んで頷きました。散っちゃう前にこれてよかったね、と、少女がまた少年に言います。少年は、遠くの、彼らの姿を見ながら、しばらくしてから、「……、そうだな」、と頷きました。
少女と少年は、それから彼らが、片付けをし始め、それぞれの家にかえる時まで、彼らを視界の隅に入れながら、そこで他愛もない話をずっと、ずっとしていました。たまに浮いたようにある沈黙すら、彼らには心地のよいものでした。
時たま私のかけらが、彼らの間をすり抜けていきました。風は心地よいものがさらりと吹く程度で、とても、とても暖かい日でした。眠っている人もいました。砂糖が溶けるように、ゆっくりと空の水色が落ちていきました。まどろみが夢なのか、夢でないのか、境目がはっきりしないような、とても気だるい昼下がりでした。
私には、何故少女の提案どおり、少年が彼らの所へ行かなかったのかが分かりません。ただ、私がはっきりいえることは、彼らも少女も少年も、来年、また私の下に来るとは限らない、ということだけでした。
まどろむわけでもなく、ただ淡々と会話を交わしていた少女と少年は、鳥の声が静かに消えていく頃、ゆっくりと私から遠ざかっていきました。
20100406 花の日、夢番地で
♪夢番地