虫の音
夜の闇をにぎわす虫の音が一斉に止んだかと思うと、驚くほど静かになる。
シンと静まりかえった一瞬は、月の光が淡く広がったような気がして息を飲む程美しく見えた。
虫の音が止んだ一瞬は、直ぐに遠くから聞こえる賑やかな男達の声で静寂をかき消す。
それ程大きな声が聞こえてくるわけじゃないけど
すとんと落ちた静まりだったからか、格別よく聞こえる気になっていたのかも知れない。
それは沖田さんも同じだったみたいで、呆れたように溜息をついていた。
「まったく、こんな離れにまで響くなんて、平助君達も賑やか過ぎるよね」
少しだけ不機嫌な言い方に沖田さんの顔を盗み見れば、ね? と同意を求めるように首を傾げてくる。
そうですね、とは言えないし。賑やか過ぎるとも思わなかったから、曖昧な返事をすると、沖田さんの瞳の奥がすぅと冷えたように見えた。
隣に要るのに急に遠くへ行ってしまったような感覚。
嫌われたんじゃないかという、今更な不安が沸き上がり慌てて、誤魔化すんじゃなくちゃんとした答えをしようと口を開いた。
「過ぎるとは思いませんよ。賑やかなのは嫌いじゃないですから」
「ふぅん。まぁ静かな屯所ってのも想像つかないしね」
「そうですね」
そうしてまた、ね? と同意を求めてくる沖田さんにこくりと頷き、胸の内でほっとするのだ。
なんだかご機嫌取りをしているような後ろめたさはあるけど、嘘は言っていない。
賑やかなのも嫌いじゃない。
沖田さんから聞かれることは無いけど
こうして二人で月を眺めるのも嫌いじゃないです。と心の中で言ってみる。
チリリチリリと小さく鳴いた虫の音を合図に、また一斉に様々な音が鳴り響く。
さながら鈴を転がすようだと少しの間、耳の奥にまで響く音々を聞いていると、沖田さんがふふと忍び笑いをしながら私の肩を突いた。
「食べないの?」
美味しいのは近藤さんへの手土産にしたらしく。こっちはそこそこ美味しいのだよと微笑んだ沖田さんに、私はどういった顔をしていいのか分からず上目遣いで顔色を伺ってしまう。
そんな私の卑屈な様子が気に入ったのか、クスリと笑い声を忍ばせ
「ただ飯喰らいの子供が、一番美味しいのを期待するんだ」と口角を楽しげに上げ笑う。
「いいえ、ありがたく頂きます」
「そうそう。遠慮なんてしないでね、余り物なんだから」
「はぁ、そうですか」
真意は分からない。時々……というか、いつも沖田さんの言う言葉は裏と表が入り乱れていて、真面目に聞いていたら混乱しそうになってしまうのだ。
嫌われてるんじゃないかとは、思う。でも、心底嫌ってるという風には見えない。
この人は嫌いなら近づきもしないだろうから。
なら、なんなのだろう。なんて考えると、私にはさっぱり答えがでなくて。
私の為に買ってきたんじゃなくても、こうしてお菓子を持ってきてくれたことに、素直な嬉しさはあった。
今はそれでいいのだと、思うことにした。
「ありがとうございます」
掌に乗せられた小さな餅菓子は、ほんのり温かい。
そして――
「うん。沢山たべてよね」
そう言って嬉しそうに笑う沖田さんの言葉も、ほんのり温かい気がした。